【戦国時代の贈り物の意味】大名の定番お中元・お歳暮ギフトを紹介!

【戦国時代の贈り物事情】大名の定番お中元・お歳暮ギフトを大紹介!

「戦国時代の贈り物ってどんなのだろう?」「その時代にお中元やお歳暮の文化はあったのかな?」とふと思った方。今回はそんな疑問にお答えします。

戦国時代の定番の贈り物や渡すタイミングを解説します。当時の面白いエピソードもご紹介するので、気になる方は楽しんでいってください!

戦国時代の定番の贈り物

戦国時代の定番の贈り物

まずは「戦国時代に大名が贈った定番の贈り物」をご紹介します。現代のギフトとはまったく違ったラインナップに驚きを隠せないはずです。

  • 馬と太刀のセット
  • 反物や毛皮、紙などの品物
  • 酒や肴などの食品
  • 現金(貨幣)

馬と太刀のセット

馬と太刀のセット

戦国時代にもっとも人気だった贈り物。それは「馬と太刀」のセットです。かの武将、織田信長へ数々の大名が献上した贈り物は、ほとんどが馬と太刀だったとか。馬と太刀のセットは、当時の武家の定番ギフトでした。

ただし遠隔地で馬を連れていけない場合は「馬代」として相当額の貨幣を贈ることもあったようです。当時は打刀や脇差も普及していましたが、儀式の場面だと太刀を贈る方がベストとされていました。

反物や毛皮、紙などの品物

反物や紙などの品物

反物や毛皮、紙などの品物も戦国時代の人気ギフトです。「麻布・練貫(ねりぬき)・緞子(どんす)」といった舶来の高級織物や、動物の毛皮などが選ばれていました。また紙は一束500枚程度として、まとめて贈るのが一般的です。

その他にも季節の果物や菓子、鎧や手袋、茶道具、愛玩動物、調度品、書籍や絵画、日用品や舶来品などが贈られたとか。特に贈る相手が「太刀と馬」のそぐわない僧侶の場合に、配慮して選ぶ人気ギフトだったそうです。

酒や肴などの食品

酒や肴などの食品

酒や肴などの食品も戦国時代の鉄板ギフトでした。酒は一斗樽2つで1組、肴は乾物など複数種類を折詰にしたものが定番です。輸送手段の少ない当時でも、大阪・京都間程度の距離なら現物を手配して贈っていました。

応仁の乱前後の京都では、八朔(8月1日)に瓜を贈り合う習慣も生まれました。八朔は「姫瓜の節供」と言われ、瓜に白粉や紅で目鼻を描いて遊ぶ風習が根付いていたそうです。

また正月に将軍や天下人が狩りの獲物(鶴など)を天皇に贈る風習もありました。かの将軍、足利義昭や織田信長も、天皇に獲物を献上したそうです。

現金(貨幣)

現金(貨幣)

贈る品が用意できない場合、もしくは贈り先が遠方の場合、現金を包むこともありました。その際は「馬代」など本来の品の代替品という名目とするか、他の品とセットで贈っていたようです。

当時の貨幣は、金や銀、銅を鋳造して作ったり、「渡来銭」と呼ばれる中国王朝から輸入した銅銭を使ったりしていました。表記は銭建て(「一貫文」など)あるいは銀建て(「百疋」など)が一般的です。

戦国時代に贈り物をするシーン

戦国時代に贈り物をするシーン

続いては、戦国時代に贈り物をするシーンをご紹介します。現代と変わらぬ伝統行事もあれば「初陣」などの戦国時代らしい出来事まで、数々のシーンがあります。

  • 年末年始(正月・お歳暮)
  • お中元
  • 通過儀礼
  • その他社交

年末年始(正月・お歳暮)

年末年始(正月・お歳暮)は、室町・戦国時代の三大贈り物シーズン。季節がら道路事情が悪く、贈り物が数日から数か月遅れることもよくある話だったので「仕方のないこと」と許されたそうです。

お中元

正月やお歳暮と並んで、室町・戦国時代の三大贈り物シーズンのひとつ。現代では厳密な日付が決まっていないお中元ですが、当時は「八朔(はっさく)」の日(8月1日)に贈ることが慣習となっていました。

通過儀礼

元服・初陣・家督相続・子息誕生・子息元服など、主に男性の人生の節目に贈り物をする文化がありました。特に親しい関係のとき、普段と違った高級品や由緒あるものが選ばれていました。

その他社交

社交のシーンではたびたび贈り物をしていたようです。たとえば、他家を訪問するときは、手土産を持参するのがお決まりです。また初めて・久しぶりの手紙には、ちょっとした贈り物を添えていました。

また室町・戦国時代の戦に、贈り物は欠かせません。知人が戦に出陣したときは陣中見舞い、戦に勝ったときはお祝いの品、負けたときはお見舞いの品を贈っていたようです。

戦国時代の贈り物マナー

戦国時代の贈り物マナー

戦国時代の贈り物には「贈り物の内訳を書いた手紙や目録を添付する」というマナーがありました。遠方の場合は手紙を贈り物に付け、本人が出向けるときは目録を直接手渡したそうです。

手紙や目録がないのは大変失礼なことにあたるようで、相手が激怒して品物を受け取らなかったり、返礼をしなかったりもしたとか。実際、能登の畠山義続が「手紙に書き忘れた」虎皮だけ受け取らなかった話は有名です。

現代では送り状なしの贈り物も受け入れられていると考えると、当時の贈り物が格式高いものだったことがわかります。とはいえ身内や親友、圧倒的に身分が下の相手は送り状なしだったそうなので、最低限の融通は利いたようです。

戦国時代の贈り物に関する面白い話

戦国時代の贈り物に関する面白い話

戦国時代の贈り物文化がわかったところで、面白い話をいくつかご紹介します。

  • マナー講師として生き残った話
  • 贈り物の使いまわしがバレた話

マナー講師として生き残った話

戦国時代に生まれた贈り物のマナーは、京都の将軍周辺で成立したものです。そのため地方出身だったり身分が低かったりする戦国大名は、マナーを知る機会も少なく困っていました。

そこで活躍したのが伊勢氏です。伊勢氏は室町将軍の側近で、将軍子息の守役も務める家柄です。室町幕府が衰退してからも、独自に蓄積した礼儀作法を教えることで生き残ったそうです。

贈り物の使いまわしがバレた話

年始のある日、京都の細川氏綱は折詰10合を大坂石山本願寺の宗主・証如(しょうにょ)に贈りました。証如が受け取った品を確認すると、なんとそのうち5合は自身が京都の三好長慶に贈ったものだったそうです。

怒るかと思いきや、証如は「呵々」と大笑いして何事もなかったかのように受領したそうな。ことあるごとに贈り物をしていた戦国時代では、その使いまわしも半ば公然と許されていたようです。

戦国時代を想起させる和風名入れギフト5選

時代は移り変わっても、相手を喜ばせるために贈り物をする文化は、とても素敵なもの。令和に生きる私たちは、戦国時代よりもよっぽど自由にプレゼントができます。

そこで最後に、当店のラインナップから「戦国時代を想起させる和風名入れギフト」をピックアップしてご紹介します。

名入れギフトは、世界に一つだけの贈り物。しかも「名入れ×和風ギフト」の組み合わせは相性抜群です。和のテイストが好きな人へのプレゼントを考えている方は、ぜひ参考にしてください。

名入れ京扇子桐箱入り

白檀香る、京都伝統の技で作り上げた名入れ京扇子。自然の色合いを残した国産竹を使い、職人によって丁寧に組み合わされた扇骨は、まさに造形美といえます。

京都東山の和紙を使った扇面には、京絵師が一筆一筆真心を込めて描きこみました。親骨部分にそっと刻まれた名入れが、より一層愛着を感じさせる逸品です。

名入れ蒔絵スライドルーペ桐箱入り

美しい蒔絵を施したLED付きの名入れルーペ。室町時代に生まれ、和歌山県海南市を中心に生産される「紀州漆器(黒江塗)」の商品です。

もちろんデザイン性だけではなく実用性も兼ね備えており、レンズが大きく読みやすい拡大倍率約3倍を採用。LED付きなので、小さい文字もラクラク見えますね。

名入れ枡松栽培セット

ヒノキの枡で黒松を種から育てる栽培セット。「盆栽」というちょっと変わったギフトに加えて、枡に名入れをすることでさらに特別な贈り物に仕上げます。

こちらの商品は、栽培セットと一緒に「盆栽という新たな趣味」をプレゼントするものです。ぜひあなたから相手に人生の新たな楽しみを贈りましょう。

名入れ金銀流し雲ロックカップペア

高級感漂う美濃焼の名入れ金銀流し雲ロックカップペア。銀婚式、金婚式、米寿や白寿など大切な節目のお祝いにぴったりなペアギフトです。

名入れは彫刻のため、洗っても消えず薄くもならずに安心して使えます。ふたりいつまでも元気に晩酌を楽しんで欲しい。そんな思いを込めて相手に贈りましょう。

名入れ瑞雲箔散らし箸&箸置き4点セット

贅沢に散りばめられた金箔が食卓を彩る、名入れ瑞雲箔散らし箸&箸置き4点セット。手のひらに感じる金箔の繊細な凹凸の味わいと存在感がクセになる逸品です。

「豪華絢爛」の表現がぴったりなこちらの商品は、誕生日プレゼントや米寿・傘寿などの長寿祝い、結婚記念などの幅広いシーンで選ばれています。

さいごに

今回は「戦国時代の贈り物」をご紹介しました。戦乱のさなか、ギフトを贈り合う交流で関係を築いていたとは、驚きを隠せませんね。本記事で紹介した豆知識、ぜひ飲み会の話のネタにでもしてください。