母の日小説「ひねくれ者は犬に憧れる」公開中!

休み明けはおそろいで

【クリスマス小説】休み明けはおそろいで

音を立てて吹く夜風に、思わず身をすくめた。
そこかしこに姿を見せるサンタクロースに、苦い記憶がふつふつと蘇ってくる。
まるで昨日のことのように思い出せるのに、もう丸一年も経つなんて信じられない。
仲睦まじく街をゆく恋人たちの姿が目に入るたび、心臓を締め付けられたように息苦しくなる。

もう過ぎたことだ、そう自分に言い聞かせてイルミネーションで照らされた街を足早に通り抜けていく。
くたびれた革靴の汚れが、一段とひどく見える気がした。

【オーディオブック】

赤と白の苦い記憶

『そっか……またしばらく忙しいんだね。私のことはいいから、無理しすぎないでね』
「本当にごめん。近いうちになんとか時間作るから」

通話を切って思わずため息が出た。
もう何度こんなやり取りを繰り返しただろう。

ようやく一山越えたと思っていたのに、またとんでもなく無茶な納期の仕事が入ってしまった。
自分のチームの仕事じゃないと割り切ってしまえばいいのだろうが、毎日血眼になりながら夜遅くまで格闘している同僚や上司の SOS を見なかったことにはできない。
「5 人がかりで 2 ヶ月かかるシステムなら、10 人いれば 1 ヶ月でできるだろう」と考えている人間があまりに多くて頭が痛くなる。

クライアントだけならまだしも、意気揚々と仕事を取ってきた報告をする営業への恨みつらみは吐き出せばキリがない。
仮にも IT 企業に勤めておきながら、プログラミングの仕事をなんだと思っているのだろう。
切れ目なく仕事を取ってくる力に助けられているのは重々承知しているが、せめて納期の相談くらいはしてもらいたかった。

最後のデートは、たしか入社してすぐくらいの頃だったはずだ。
GW はおろか土日もないような生活を続けて、あれからもうすぐ半年になる。
学生時代はそれこそ毎週のように一緒に出かけていたのに、今年はお互いの誕生日すらちゃんと祝えなかった。

さすがにこれはまずい。それくらい俺にだってわかる。
受話器越しでも伝わる落胆の余韻が耳に残って、さらに焦りが募った。

 

『えっ!本当?クリスマスに 1 日お休み取れたの?』
「うん。時間いっぱいあるから、何したいか考えといて」

やったあ!と歓声を上げるのが聞こえて、思わず顔がほころぶ。
長いこと我慢させてしまったから、行きたいところもやりたいことも山のようにあるだろう。
笑顔で隣を歩く彼女の姿を想像しただけで胸が満たされる。

自分でも驚いたが、ダメ元で上司に相談してみたら思いのほかあっさり申請が通ってしまったのだ。
「そういえば、休日出勤も残業も頑張ってるもんな!いいよいいよ休みな!」とずいぶん寛容な物言いだったが、当然ながら決して好きでやっているわけではない。

いつかの残業中、終電の心配をされてうっかり歩いてでも帰れる距離だと口を滑らせたのが運の尽きだった。
就職先が決まってから、通勤時間を短くすることしか考えず部屋を借りた過去の自分が恨めしい。
あれ以来なんだかんだと仕事を頼まれる頻度が多くなり、体の良いヘルプ要員扱いされてしまっている。

それでなくても、結局誰かがやらなければ休み明けに地獄を見ることになるのだ。

『クリスマスケーキ予約しておくね!ご飯はどうしよっか?』
「んー。久しぶりに手料理が食べたい、かな」
『わかった!じゃあ、クリスマスっぽいコース料理とか挑戦してみようっと』
「お、いいね。楽しみにしてる」

学生の頃は、よく弁当を作ってもらったものだ。
コンビニの味に慣れきった口に早くも唾液がわいてくる。

こんなにクリスマスが楽しみなのは何時ぶりだろう。
サンタが来る日を指折り数える子どものように、毎日カレンダーに斜線を引くのが日課になった。

なかなか思い通りに動かず頭を抱えていたプログラムも、コードの文字列が楽しげに踊っているようにさえ見えてくる。
進捗の帳尻を合わせるために普段より長く残業することになったが、なぜか上司や同僚たちがやたら差し入れを持ってきてくれるようになったおかげで連日遅い時間まで踏ん張れた。
まるでクリスマスに向けてこちらの士気を高めてくれているかのようで、職場に入り浸るのも全く苦にならなかった。

ただ今思えば、普段険しい顔で仕事をしている男が休日出勤も残業もニヤつきながらこなす姿に何か危ない予兆を感じたのかもしれない。

 

「――は?今なんて?」

クリスマス当日。
そろそろ家を出ようかというタイミングで同僚の早川から電話が来た。
どう考えても嫌な予感しかしない。もしや浮かれすぎて昨日何かやらかしてしまったのだろうか。
恐る恐る出てみると、事態は思った以上に深刻だった。

問題が発生したのは、先日納期ギリギリで完成した独自開発の売上管理システムだ。
インターネット注文の受注から店舗ごとのデータまで、年内に自社の売上管理を一元化したいというクライアントの要望に答えて突貫作業で仕上げたのだ。
急ごしらえだけに細々したバグが納品後も何度か出ていたのだが、昨日の修正作業で誤って余計なところまで書き換えてしまったらしい。

先方はクリスマスから年末にかけて、毎年盛大にセールを行っている。
今日一日でどれだけ損失が出てしまったのかわからないが、事と次第によっては謝罪と修正だけでは済まないだろう。

『本当にすまん!不具合そのものは修正できそうなんだが、売上データの修復もしなきゃいけないし、とにかく人手が足りなくて!』
「……どれくらいかかりそうなんだ?」
『わからん!ただなんとしてでも今日中には復旧させないとやばいって部長が……俺やっぱクビかなぁ』

涙声で嘆く早川に、お前だったのか、と思わず眉間にシワが寄る。
とはいえ、起きてしまったことを責め立てても仕方がない。
人のミスに寛容でないと、いずれ自分が窮地に立たされたとき誰にも助けてもらえないのだ。

――たとえそれが、事前にしっかり有給休暇を申請していたクリスマス当日であったとしても。

ため息交じりに今から向かうと伝えると、先程より幾分か明るい声で感謝の言葉が返ってきた。
やれ焼き肉食い放題だ回らない寿司だと、続けて始まったお返しプランの口上に思わず苦笑いが出る。
時代錯誤もはなはだしい「私服出社禁止」の就業規則が頭を掠め、とりあえず着替えるかとクローゼットに手をかけた。

さて、昨日着けたのはどれだったか。
同じような暗い色合いが並ぶネクタイに目を走らせるうちに、いつもの調子を取り戻しつつあった早川の声がふと途切れる。

『……せっかくのクリスマスにごめんなあ』
「しょうがないさ。その代わり、目処が立ったらさっさと帰るからな!」

通話を切り、静かになった部屋に一段と大きなため息が響いた。
これから向かう修羅場と、向かうはずだった楽園との落差に打ちのめされそうになりながら LINE を開く。
待ち合わせ場所を考えると、彼女はもう家を出ているはずだ。
何度も入力しては消しを繰り返し、何分もかけてようやく送信ボタンを押す。
夜までには絶対帰る、と付け足してから、いつもより重い腕でのそのそと支度をした。

重い足取りで駅に向かう途中、カバンから微かな振動を感じて慌てて手を突っ込む。

【わかった】
【部屋で待ってる】

文字だけ。
いつも絵文字やスタンプで可愛らしく装飾する彼女らしくない返信に、思わず冷や汗が出た。

一体どんな埋め合わせを提案すれば許してもらえるのか。
少なくとも、焼肉や寿司でなんとかなる問題でないことだけは確かだ。

 

「あ、来た来た!岩合いわごう来たぞ!」
「とりあえずこっち手伝ってくれ!」

着いてみれば、社内は上を下への大騒ぎだった。
と言っても、実際に動き回っている人間はほとんどいない。
独りごと程度なら容易にかき消してしまえそうなほど鳴り響くカタカタと無機質な音が、やりとりされているデータの量を思わせて息を呑んだ。

普段なかなか顔を合わせる機会のない――というより、仕事中はモニターにかじりついているせいで近くにいても気づかないだけだが――別部署のメンバーたちも鬼の形相でキーボードを叩いている。
全社員総出の大仕事だ。
おそらく、俺以外にも大事な約束をすっぽかすハメになった哀れな人間がいるのだろう。

心の中で手を合わせながら、せめて誰のクビも飛ばずにこの案件が収束することを願った。

 

やっと終わりが見えてきたのは、すっかり日が落ちてからだった。
終わりが見えたと言っても、なんとか徹夜は免れそうだということがわかっただけで、処理すべきデータは山のように残っている。
彼女が見たがっていたイルミネーションはとっくに点灯しているだろう。
なんとか隙きを見て抜け出さなければ。

「皆さんおつかれさまです!そろそろ休憩入れてくださーい」

買い出しに行っていた女性社員たちが、修羅場で見慣れたエナジードリンクを山ほど抱えて帰ってきた。
根を詰めて作業していた他の社員たちもぞろぞろと動き出し、それぞれ思い思いの行動を取り始める。
缶に手を伸ばす者、気怠げに伸びをする者、そしてこっそり帰り支度を始める者。

ふと気づけば、出勤してきたときには埋まっていたはずの場所もチラホラと空席になっている。
通常の退勤時間までにはまだ少し間があるから、おそらく俺と同じ休日返上組だ。
帰るなら今しかない。

「あの、すみません俺そろそろ――」
「ん?あーそうだ岩合、こないだ言ってた例の件な、言うより見たほうが早いからちょっといいか」
「えっ?いやあの……」

一応、普段一緒に働いているチームの誰かにひと声かけておこうと思った。それ自体はいい。
早く帰ろうと焦るあまり、よりによってこの人を、たまたま近くにいたというだけで選んでしまったのが間違いだったのだ。

「……で、そうすると……だから、やっぱりこっちの方が……」

あれこれ細かくコードを見せながら喋り続けるのを、曖昧な相槌で聞き流す。
なんでこの状況で違う仕事の話をしてるんだ?と怪しむ社員たちの視線が痛いが、当の本人は全く気にならないらしい。

この先輩は、仕事ができる。
プログラミングスキルだけ見れば社内で一番かもしれない。
ただ残念なことに、場の空気を読んだり人の顔色を伺ったりというコミュニケーションスキルはからっきしで、上司も手を焼いているらしい。

あえて良く言えば、極度のマイペースなのだ。
どんな修羅場でも普段と変わらず居てくれるので、時と場合によっては貴重な精神安定剤になる。
人当たりも決して悪くはなく、どんな些細な疑問もきちんと教えてくれるから、きっと根は優しい人なのだ。
例の件というのも、数日前にふと疑問に思ったことを質問したのだが、なぜか今このタイミングで答える気になってしまったらしい。

「なあ、聞いてたか?」
「――ああ、はい、よくわかりました。ありがとうございました」

たしかに説明はわかりやすかった。適当に聞き流すつもりで理解できてしまうほどには。
おかげでひとつ賢くなった。休み明けはさぞ仕事が捗るだろう。
ただ残念なことに、帰るタイミングは完全に逃してしまったようだ。

ほとんどの社員が休憩を終え、またあの地獄のような修正作業に戻っている。
残った人数はいつの間にか半数近くにまで減り、その分終了見込み時間もずれ込むことは明らかだった。

――終わった。

自分の中で、何かがぷっつりと切れてしまった。
力なく自席に沈み込み、そっとスマホに手を伸ばす。

【連絡遅くなってごめん。思ったより大変なことになってて、今日は帰れそうにない】
【本当にごめん】

この分だと結局徹夜かもしれない。
誰が気を利かせてくれたのか、いつの間にか置いてあったドリンクを煽りながらモニターとのにらめっこを再開した。

 

結論から言うと、徹夜は回避できた。
ただ、全て終わった頃には終電はとうに過ぎてしまっていた。
皆がタクシーの相乗り要員を募る中、ひとりトボトボと夜道を歩き始める。

今さら急いだところで、もうとっくに帰ってしまっているだろう。
それに、どんなに疲れていても今夜は歩きたい気分だ。

店先や街路樹の灯りはすっかり消え、巻きつけられた電球が冷えた鎖のように白く浮かび上がっている。
風で飛ばされたのか、それともポイ捨てか。
プレゼントを愛らしく彩っていたであろう赤いリボンが道端に打ち捨てられているのを見て、なんとも言えない気分になった。

 

「ただいま……」

誰もいないとわかっていながら、少しだけ期待しつつ玄関を開ける。
当然部屋は真っ暗だったが、ほのかに暖かさが残っていた。

一体何時まで待っていてくれたのだろう。
最後のメッセージに未だに既読が付いていないのをチラリと見やってから、電気をつけるのも億劫でそのまま台所へ向かう。

――水だけ飲んでさっさと寝よう。

何の気無しに冷蔵庫を開けて、ヒュッと喉が鳴った。

可愛らしいサンタが描かれたケーキの箱。
肉や野菜、それにシャンパンも。
いつも水とビールくらいしか入っていない小さな冷蔵庫に、所狭しと食材が詰め込まれていた。

そうだ、たしかコース料理に挑戦するとか言っていた。
これだけたくさん食材を使うものなのか。
彼女のことだ、きっと今日までに練習もしたんだろう。

申し訳なさでどんどんみじめになってきた。
もう寝てしまおうと冷蔵庫を離れたが、今度は部屋の中に白く浮かび上がる何かが見えてギョッとする。
近づいてみると、テーブルに二人分の食器が重ねておいてあった。
ご丁寧にテーブルクロスまで敷いてある。

――たくさん時間をかけて準備してくれたのに、全て無駄にしてしまった。

もうそれ以上何も考えたくなくて、着替えもせずに布団に潜り込んだ。

 

目が覚めるとすでに昼過ぎだった。
本当なら今日も仕事のはずだが、昨日のことがあるので特別に休みにしてもらっている。
とはいえ、今日が休みになったところで何の意味もない。彼女にだって仕事がある。

結局何をする気も慣れず、ダラダラと過ごすうちに日が傾き始めた。
なんだかんだで起きてから何も食べていないが、かといってあの冷蔵庫を開ける気にもなれない。

「……コンビニでいいか」

誰にともなくつぶやいて、近所のコンビニへ行こうと玄関に向かう。
100 均で見繕ったカゴを適当につけただけの郵便受けに、何かが入っているのが見えて――しばらく呼吸も忘れて立ち尽くした。

可愛らしいクマのぬいぐるみ、が付いた鍵。
昨日このドアを開くのに使われたものに違いなかった。

慌ててスマホで確認するも、やはり昨日のメッセージに既読は付いていない。

まだ読んでいないのではない。
意図的に、付けなかったのだ、きっと。

全身の力が抜けて、ずるずるとその場にへたり込む。

そのあとの一日をどうやって過ごしたか、後になって振り返ってもどうしても思い出せなかった。

 

彼女とはいずれ結婚するのだろうと思っていた。
一緒に過ごす時間はいつも心地よかった。
目を閉じれば今でも笑顔が目に浮かぶ。

そういえば、出会った頃から自分の気持ちを言葉にするのが苦手な子だった。
俺はそれを知っていたのに、気づいてやれたはずなのに、別れも告げずに連絡を断つまで我慢させてしまったのだ。

いや。
きっと最後のメッセージが、彼女なりの最大限の感情表現だったのだろう。

あのとき引き返していれば。
それでなくても、周りの目など気にせず早めに引き上げていれば。

いつまでも消えない罪悪感は、仕事に没頭している間だけ忘れることができた。

「あいつ最近働きすぎじゃないか?」
「お前知らないのか、去年のクリスマスにさ――」
「あー……気の毒にな」

岩合はクリスマスデートをブッチしたせいで彼女にフられたらしい、という噂はいつの間にか広まっていた。
噂、というより「クリスマスに休みを取っていたはずが引っ張り出されて、それからずっと死んだ魚の目をして馬車馬のように働いている」という事実だけで察するに余りある。

早川はあれからずっと負い目を感じているようで、しきりに飯をおごりたがった。
気持ちだけ、と断ると決まって気まずそうな顔をするから、嫌でもあの日のことを思い出してしまう。

クリスマスが再び近づいてくると、あえて仕事を増やして職場に入り浸った。

 

結局その年のクリスマスには何も起こらず、まだ街が明るいうちに帰路についた。
どこからか流れてくる陽気なクリスマスソングが、実は失恋歌だと聞いたのを思い出して感慨にふける。

音を立てて吹く夜風に、思わず身をすくめた。
そこかしこに姿を見せるサンタクロースに、苦い思い出がふつふつと蘇ってくる。
まるで昨日のことのように思い出せるのに、もう丸一年も経つなんて信じられない。
仲睦まじく街をゆく恋人たちの姿が目に入るたび、心臓を締め付けられたように息苦しくなる。

彼女もああやって、一緒に街を歩くのを心待ちにしていただろう。
イルミネーションを見て、他愛もない会話をして、暖かい部屋で一緒にケーキを――

電話越しに喜ぶ彼女の声を思い出し、思わず唇を噛んだ。

もう過ぎたことだ、そう自分に言い聞かせてイルミネーションで照らされた街を足早に通り抜けていく。
くたびれた革靴の汚れが、一段とひどく見える気がした。

 

年明け早々、気が緩んだのか盛大に風邪を引いた。
当然ながら看病しに来る者などいない。
食料を買いに行くのもままならず、熱で火照った体をただ横たえることしかできなかった。

よろめきながらやっとの思いで枕元に置いた水だけを頼りに、ぼーっと天井のシミを数え続ける。
静かな部屋の中で、目覚まし時計の針の音が唯一時の流れを感じさせた。

「……寂しい」

心の中で呟いたつもりが、気づけば口から漏れ出ていた。
聞かせる相手のない言葉はそのまま静かに消え、耳元の規則正しい音だけがいつまでも続いていく。

なんだか鼻の奥が痛くて仕方がない。
涙が出るのは鼻が詰まったせいだろう。
こんな寝正月はもう二度とごめんだ。

その瞳に出会う

季節は巡り、今年も新入社員を迎える時期になった。
俺が入社したときより会社の規模も少しずつ大きくなり、今では労働環境もかなり改善されてきている。
採用条件が良くなったおかげか、今年の新卒はみんな粒ぞろいで期待できると小耳に挟んでいた。

「経理部に配属されました、柳瀬朱里やなせあかりと申します」

入社日には全部署を順番に回って顔と名前を覚えてもらうのが通例だが、その中でもひときわ目を引く女性社員がいた。

いい意味で新卒らしくなく、必要以上に萎縮しないでまっすぐ目を見て話ができる子だ。
ハキハキした喋り方に、よく通る声。
スラッと長い足に、社内の女性には珍しいパンツスーツがよく似合っているのも印象的だった。
中学から高校までバレーをやっていたと聞いて、勝手に親近感を感じたのもある。

「細かいところまでよく気がつくし、仕事も早いし、わからないことははっきり『わからない』って言ってくれるからやりやすいわぁ」
先輩に当たる女性社員がそう漏らしているのを聞いて、仕事ぶりも好調なのが伺えた。
同性に好かれる女子というのは、きっとああいう子のことなのだろう。

 

ひと月ほど経ってから、新卒社員の歓迎会が開かれた。
強制参加ではないので人数は全体の半数ほどといったところだが、ひいきの居酒屋を貸し切っての宴会だ。

席は部署にこだわらず親睦を深めるという趣旨もあって、くじ引きで決めることになっている。
このとき偶然席が隣になったのが始まりだった。

「お隣、失礼します」

たいてい初対面の人――特に年下の女性などは――怖がらせてしまう顔つきで、ただ目が合っただけでも睨まれたと誤解されてしまうことがよくある。
だからこそ余計に、初めてでもまっすぐ目が合う瞳が新鮮だった。

「開発部の岩合です。お酒ダメだったら言えば大丈夫だから、遠慮しないでね」
「はい、ありがとうございます」

いわゆるアルハラが存在しないのが我が社の良いところだ。
飲みたい者は飲みたいだけ飲み、そうでない者は一次会でさっさと引き上げる。
女性社員や後輩に酌をさせるという悪習もなく、いい意味で各々好き勝手して楽しんでいた。

「柳瀬さん、バレー部だったんだよね。俺も中学から大学までバレーやっててさ」
「え!そうなんですか?」

物怖じしないで接してくれるのが嬉しくて、珍しく自分から話題を振ってみる。
社内でバレー好きは少数派なので、バレーの話題で盛り上がれるのは素直に嬉しい。

しばらくすると酔いが回ってきたのか気がほぐれたのか、ほんのり顔が赤らんで表情もふやけてきた。
スパイクやブロックが上手く決まった時の快感、最後の試合の思い出、応援しているチームの注目選手など、話題は尽きず和やかな時間が続く。

仕事ができる女性は性格がキツい。
心のどこかでそう思い込んでいた節があるが、なんともまあ、かわいらしい顔で笑うじゃないか。

もともと酒には強いほうだと思っていたが、はしゃいでしまったのか今日は珍しく顔が火照っている。
酒の勢いで余計なことを口走ってしまった気もするが、お開きの頃には向こうから連絡先を聞いてきたのだから、きっと大きな失敗はしていない。はずだ。

 

【おつかれさまです。先日の歓迎会ではありがとうございました】
【周りに岩合さん以外バレーの話ができる人が全然いないので、ちょっとさみしく感じています】
【サマーリーグの観戦チケットを譲っていただいたのですが、もし良ければ一緒にいかがですか?】

そんなメッセージが届いたのは、歓迎会から半月ほど経ってからだった。

ここのところ仕事ばかりで、試合観戦はおろか外出もほとんどしていない。
たまの休みはゴロゴロとだらけている間に終わってしまうし、どこかへ出かけようという気持ちすら忘れていたのもある。

――行きたいのは山々だが、きっとその日も仕事だろう。
無意識に断ろうとしている自分に気づいて、はたと指を止めた。

そうだ。
いつの間にか、誰に言われるでもなく自主的にするようになっていた休日出勤をやめさえすればいい。
自分が抱えている仕事は問題なくスケジュール管理できているのだから、文句は言われないはずだ。
開発部うちのメンバーも着々と増えてきているし、何かあっても対応できる人間は他にいる。

「誰かがやらなくてはいけない仕事」は、別に俺がやらなくてもいい。
その事実に気づいた瞬間、分厚い雲が一気に晴れ渡ったような開放感があった。

……いや、あえて気づかないふりをしていたと言うべきか。
残業も休日出勤も、あの日の過ちを正当化するための免罪符にしてしまいたい一心で引き受けていた時期があったのは否定できない。

今度の休みは、遊びに行く。
そう決意した途端じわっと胸に熱が広がった。
今まで眠っていた部分の脳みそがじわじわと動き出し、当日の持ち物から目的地への最適ルートなどに思考が移っていく。

たしか応援グッズは、あの引き出しの奥に入っているはず。
そうだ、せっかくだからカメラも持っていこう。充電しておかないと。

上機嫌で返事を打ち込みながら、ちらりとカレンダーを見やって残りの日数を数えた。

返信し終わって少ししてから、もしやこれはデートのお誘いでは、とふと思い至ったが、まさかあの子にそんな気はないだろうと頭を振る。

彼女にしてみればたまたま趣味が同じ先輩というだけだ。
バレー仲間がいなくて残念に思う気持ちもよくわかる。
入社したばかりで不安なこともあるだろうし、もしかしたら何か相談事でもあるのかも。
そんなことを考えて、『後輩 相談 乗り方』で検索してみたりもした。

――いや、でも、ひょっとしてひょっとするかも。

「……一応、散髪だけ行っとくか」

 

当日の彼女は普段よりも一層女性らしく見えた。
私服でもパンツスタイルがよく似合うのは相変わらずだが、普段は自然に下ろしている長い黒髪をポニーテールでまとめているのが新鮮だからだろうか。
白いうなじに這う後れ毛につい目が行ってしまい、慌てて目をそらす。

結局当の本人は相談事がある風でもなく、純粋に試合観戦を楽しんでいるようだった。
時おり横目で表情をうかがってみるが、特にこちらを気にする様子もなく真剣にコートを見つめている。

――ほらみろ。やっぱり思い過ごしだ。

行き場をなくした淡い期待の処理に困って、思わず頬をかいた。

その後も何度か誘われるまま 2 人で出かけたのだが、いつもバレーに関するイベントばかりで、てっきり純粋に趣味の仲間ができたのを喜んでいるのだとばかり思っていた。
気安くバレーの話ができる先輩として慕われているのだと。

「あなたが好きです。私とお付き合いしてください」

だから、まさか告白される日が来るなんて思いもしなかったのだ。

初めて顔を合わせたあの日と変わらない、まっすぐな瞳。
いつもよく通るあの声が、かすかに震えているのがわかって。

――全然そんな素振りなかったじゃないか。

そんなことを思いつつ、本気で好いてくれているのを疑う余地はなかった。

 

世間ではそろそろ木の葉が色づき始める頃合いだったが、俺の心は春の若葉のように潤いを取り戻していた。
キーボードを叩く感触が心地よくて、ピアノでも弾いている気分になる。

「岩合さん、新しいマウスが届きましたので確認お願いします」
「っ、ありがとうございます」

うちの経理部は、世間の認識ではおそらく経理事務と呼ばれるべきなのだろう。
備品の管理や書類の手続きなども経理の仕事のうちなので、何かと社内で接触があった。

こちらは話しかけられるたびについ意識してしまうが、向こうは顔色ひとつ変えず毎日仕事に励んでいる。
暗黙の了解で社内恋愛中なのは誰にも漏らしていないが、あのポーカーフェイスはなかなか真似できない。

圭介さん、と笑顔で呼びかけられるときとのギャップに少し物寂しくなってしまう。
何か気持ちを切り替えるコツでもあるのだろうか。

『ポーカーフェイス 作り方』で試しに検索してみたが、どうも俺には難しそうだ。

「岩合またなんか怖い顔してる……」
「考え事してるだけだろ、ほっといてやれ」

 

ハロウィンも終わり、再び街がクリスマスで染まる季節がやってきた。
去年の今頃は毎日仕事漬けだったが、今はゆったりカフェでくつろぎながら他愛もない会話を楽しんでいる。
人生何があるかわからないものだ。

正式に付き合いだしてからは、ようやくバレー抜きのデートができるようになった。
以前は他の話題を挟む余地もないほど熱心なバレートークを繰り広げていたものだが、付き合いだしてからそれもだいぶ落ち着いている。

今思えば、共通の話題をきっかけに気を引こうと必死だったのだろうか。

甘いものに目がないと知って、今日はスイーツが美味しいと評判の店に連れてきた。
目を輝かせながら写真を撮ったり、口いっぱい頬張ったりしているのを眺めるのが楽しくて仕方ない。

仕事中にうっかり出たら困りますから、と未だに敬語を崩そうとしないのがもどかしいが、これはこれで「年下彼女」感があって悪くないものだ。

「……ところで、あの、圭介さん」
「ん?」
「今って、お仕事忙しいですか」

はて、と首をかしげつつ抱えている仕事を思い出してみる。
余裕があるとは言い難いが、切羽詰まっていると言うほどでもない。
こうして週末に出かけていても心が痛まない程度だ。

「いや、特に忙しくはないよ。なんで?」
「実は、その……」

いつもはっきり物を言う方なのに、珍しくモゴモゴと言いづらそうにしている。

なんだろう。
まさか職場で何かあったのだろうか。
前に『後輩 相談 乗り方』で検索したときは何と書いてあったっけ。

「く、クリスマスは一日一緒に過ごしたいんですけど、お休み取れそうですか」
「えっ?」

ザッ、と音を立ててあの日の出来事が脳裏をよぎった。
しばらく忘れていた苦い感情が蘇り、胸の奥がザワザワと騒ぎ出す。

絶対に、同じ失敗は繰り返したくない。繰り返さない。もう二度と。

「……あの、もし無理だったら――」
「いや!大丈夫!絶対空けとくから!」
「っあ、はい……」

急に大きな声を出したせいか、目をぱちくりさせるのをじっと見つめる。

朱里には、絶対悲しい思いをさせない。
クビが飛ぼうが腕がもげようが、絶対に休みを死守して楽しいクリスマスを過ごしてもらうんだ!

欲しかった言葉

高校 3 年になって、初めて彼氏ができた。
クラス替えで初めて顔と名前が一致したサッカー部の子。

向こうはなぜか私のことを前から知っていたみたいで、特に会話もしていないのにある日突然呼び出された。
告白されるのなんて初めてで、まだ名前くらいしか知らないのに舞い上がってその場で即 OK してしまった。

お互いに土日も練習ばかりで遊びに行く暇もあまりなかったけど、毎日部活終わりに寄り道しながらゆっくり歩いて帰るのがデートの代わりだった。

彼とは何を話していても楽しかったけど、せっかく付き合っているのに恋人らしいことが全然できていないのが気になっていた。
クラスメイトの女子たちが、彼氏とディズニーランドに遊びにいったとか、一緒に買物に行って服を選んでもらったとか、そんな話でいつも盛り上がっているのを羨ましく感じてしまう。

こっちは制汗剤でも消しきれない汗の匂いが気になって、手をつなぐのもためらってしまうのに。

――部活をやめたいとは思わないけど、引退したら受験までにちょっとは遊べるかな。

そんなふうに考えて、どんなに疲れていても受験勉強は毎日欠かさずするようにしていた。

「じゃーん!みて、A 判定だった!」
「おー、スゲえじゃん!俺もあとちょいで A だったんだけどなー」

模試結果の返却日。
部活を引退してからの判定はお互いに良好だった。

志望校が違うのは残念だったけど、キャンパスはそんなに離れていないし、特に寂しくはない。
この頃は放課後の図書館で一緒に勉強するようになっていて、勉強漬けの毎日もそれなりに楽しく過ごしていた。

「まあでも、我ながら上出来じゃね?このまま行けばらくしょーらくしょー」
「もー、調子乗ってると落ちるよ?」

図書館での勉強を終え、笑いながらいつもと同じ道をゆっくり歩く。
汗の匂いが気にならなくなって、前より手をつなぐ時間も長くなったような気がする。
冷たい北風が奪った熱がじわじわと戻ってくる感触が気持ちいい。

「そうだ、クリスマスどっか遊びに行こうぜ。今年はちょうど土曜だし、こんだけ判定良けりゃ一日くらい遊んでもいいっしょ」
「う、うん!行こう行こう!」

やった。
勉強がんばってた甲斐があった。
受験までに遊びたいとは思ってたけど、まさかクリスマスにデートできるなんて。

家に帰るとすぐ、先日コンビニで買ったばかりのファッション雑誌を引っ張り出した。
付録が目当てで買ったやつだけど、こんな形で役に立つとは思わなかった。

「『真冬のとっておき♡ニットコーデ』……」

笑顔でポーズを取るモデルがいつになく輝いて見える。

私もこんな風にかわいくなりたい。
あいつにかわいいって言われたい。

部活のために短くしていた髪がようやく肩に届きそうなくらい伸びてきているのを手で確かめながら、おしゃれに着飾る自分の姿を想像してみた。

――この長さでもヘアアレンジとかできるかなぁ。

「ちょっと朱里ー? 今日模試の結果返ってくる日じゃないの?」
「ご、ごめん、忘れてた!」
「忘れるわけないでしょう、そんなに悪かったの?」
「全然!むしろめっちゃ良かったよ、ほら!」
「それなら早く見せてちょうだいよ、心配したじゃない」

だって本当に忘れてたんだもん、と心の中でつぶやきながら、クローゼットの中身を思い浮かべる。

最後に服買ったのっていつだったっけ。
まずはニット買いに行かなきゃ。

 

クリスマス前夜。
コーディネート候補の服を手に鏡とのにらめっこが続いていた。

店員さんに勧められるまま買ったスカート、やっぱり丈短すぎないかな。
でもせっかくのデートだし、これくらいでちょうどいい……よね、きっと。

ヘアアレンジは何度か練習してそこそこ上手くできるようになった。
おしゃれに詳しい友達にメイクのコツも教えてもらったし、大丈夫大丈夫。
きっとかわいいって言ってもらえる。

ちらりと見やった時計がもう 23 時を回っているのに気づいて、ハッと我に返る。
明日のことが気になりすぎて、全然勉強できてない。

慌てて机に向かってみたものの、やっぱり集中できなくて諦めて布団に潜った。

――楽しみだな。どんな顔するかな。

手をつないであちこち歩いて回るのを想像しているうちに、いつの間にか眠りに落ちていた。

 

髪型よし。
メイクよし。
コーデよし。
ハンカチ、ティッシュ、カイロも持った。

「行ってきまーす!」

クリスマス一色に染まった街を、慣れない靴でそろそろと歩く。
道行くカップルがとても幸せそうに見えて、思わず顔がほころんだ。

店先のガラスに写った自分の姿を見て、前髪の位置を少し直す。
我ながら、けっこういい感じに仕上がってると思う。

……思ってたんだけどな。

「ちょ……何だよその格好!」

合流してひと言目がこれだ。
何が面白いのか、顔を背けて笑うものだから呆気にとられてしまう。

「な、なんかおかしかった?」
「いや、おかしいっていうか……気合い入れすぎじゃね?」

あんまりな物言いに思わずカチンときた。
クリスマスデートに気合い入れて何が悪いって言うの。

「ていうかお前さあ、そんな靴履いてくんなよ。嫌がらせか?」
「えっ、靴?」

ニットを探しに行ったとき、一目惚れして一緒に買ったパンプスだ。
ヒールが高い靴は履き慣れていないから、これでも低めのを選んだんだけど。

もともと小さかった身長差がほとんどなくなってしまったのが気になっているらしい。

「俺のほうがチビに見えんじゃん。勘弁してくれよ」
「だ、だって、ヒールのほうが足細く見えるって聞いたから」
「はあ?そんなこと気にしてんのか」
「そんなことって……」

部活で鍛えた筋肉は、未だに大して落ちていない。
太ももはまだしも、膝丈スカートだとどうしてもたくましく育ったヒラメ筋が気になってしまうのだ。

「別に、気にし過ぎだと思うけど」

何か考えるようにじっと私の足を見つめていたが、急にひらめいたような顔で指差して言った。

「わかった、そういう『女っぽい格好』してるから余計目立つんじゃね?制服のときは気になんなかったけど、言われてみれば確かに足太い方だもんな!」

がーん、という音が本当に聞こえてきそうだ。

気合い入れすぎ。
嫌がらせ。
足太い。

欲しかった言葉と正反対の酷評がグサグサと胸を貫いていく。

何も言い返せず俯いたまま立ち尽くしていると、さすがにまずいと思ったのかしどろもどろに前言撤回し始めた。

「ま、まあ、それはそれで悪くないっていうか……いいんじゃね?たまにはそういうのも」

違う。
そういう言葉が聞きたかったんじゃない。

「な、なーんか見慣れたらいい感じに見えてきたわ!全然おかしくないって!」

そうじゃないのに。

「ほら、突っ立っててもしょうがないからそろそろ行くぞ――」
「ごめん、私帰る」

慌てたように引き止める言葉も聞こえないふりをして、早足でその場を離れた。

そうか。そうか。
この格好はおかしいんだ。
私には似合わないんだ。

私は、かわいくなれないんだ。

「……いたっ」

いつの間にか靴ずれしたかかとに血が滲んでいた。
痛みと惨めさでこぼれそうになる涙を必死にこらえながら、よろよろと冷たいアスファルトを踏んで歩く。

さっきまでしきりに震えていたスマホも、今ではすっかり大人しくなった。
きっと彼も呆れて帰っただろう。

――なんでこんなことになっちゃんたんだろう。

ただいまもロクに言わずに部屋に戻って、しばらく鏡の前に立ち尽くす。
出かける前はもっとキラキラしていた自分の姿が、今はもう「似合わない服で調子に乗ったイタい女」にしか見えなかった。

「……っ、」

たぶん、お母さんはまだ私が帰ったことに気づいていない。
声を押し殺して、涙が枯れるのを静かに待った。

 

『――それで、そのまま帰っちゃったの!?』
「……うん」
『ただの照れ隠しだって!あの服なら絶対朱里に似合うはずだもん!』
「……そういうもんなのかなあ」

翌日、メイクを教えてくれた友達から電話が来た。
事前に服のコーデ案も見てもらって、絶対うまくいくよ!と背中を押されていただけに話しづらくて仕方なかったけど、せっかく応援してくれたのにだんまりというわけにもいかない。
愚痴のように当日のことをポツポツ話してみたら、彼女に言わせるとあのひどい態度は「ただの照れ隠し」、らしい。

「私にはそうは思えなかったけど」
『まー朱里は割と思ったこと素直に言える方だもんね』
「そういう問題かなあ」
『ちゃんと仲直りしなよー』

仲直り、か。

静かになったスマホをじっと見つめる。
彼からはメッセージや通話が 10 件近くきていたけど、まだ何も返信していない。

――まあ、私もたしかにちょっと大人気なかったよね。

勇気を出して、通話ボタンを押してみる。
程なくしてつながったものの、相手は明らかに苛立った様子だった。

『やっとかよ!いつまでスネてんのかと思ったわ!』
「……ごめん」
『お前が帰ったあと周りにスゲー目で見られてめちゃくちゃ恥ずかしかったんだけど!』
「……うん」

それはそうだ。
クリスマスの真っ昼間からカップルだらけの往来でケンカしていたら嫌でも目立つ。

『そりゃ俺も悪かったけどさ……何もあんなに怒んなくていいじゃん』
「――そ、」
『ほんっとかわいくねえ』

あ。だめだ。
これはもう、だめなやつだ。

スーッと音を立てて、気持ちが冷めていく。

「……あのさ、お願いがあるんだけど」
『はあ?何?』
「私と別れて」
『……はあ!?』
「あと、受験勉強集中したいから、もう連絡してこないで」
『ちょ、待っ』

無理やり通話を切って、スマホをベッドに放り投げた。
ムームーと文句ありげに震えるのをそのままに、膝を抱えてこれまでのことを思い返してみる。

そうだ。
よくよく考えたら、付き合ってくれとは言われたけど、今日の今日まで「好き」って言われたことない。
もう半年以上付き合ってるのに、一回も。

もしかしたら、本当にただの照れ隠しだったのかもしれない。
でもきっと、こんなに好きになったのは私だけだったんだ。

なんかもう、どうでもいいや。

「……よし、勉強がんばろ!」

志望校が違ってよかった、と心の底から思った。

 

「はぁ……さむ」

冷たい風に思わず身ぶるいして、腕をさすりながら街を歩く。
今年も街にクリスマスソングが流れ始める季節になったけど、寄り添って歩くカップルを見かけるとついついあの日のことを思い出してしまう。

彼はよほど私の態度が気に入らなかったのか、結局あれからロクに口も利けないまま卒業してしまった。
我ながらひどいフり方をしてしまったかなと思って、せめてどうして別れたくなったのかだけでもちゃんと話しておきたかったのだけど、明らかに避けられているのに追い打ちのようにそんな話をする気にもなれない。
かといってメッセージで一方的に投げつけるのも違う気がするし。

そうこう迷っているうちに、何のやり取りもないまま疎遠になった。
お互い無事に志望校に合格できたから良かったようなものの、その情報もクラスメイト経由でようやく知ったのだ。

恋心はとっくに冷めてしまっていたけど、全然悲しくないと言えばウソになる。
一緒に過ごした時間を全部なかったことにされたみたいだったから。

大学に入ってからは、太い足を隠してくれるテーパードパンツやワイドパンツを愛用するようになった。
靴はスニーカーとか、ヒールのないぺたんこ靴がメイン。だって歩きやすいから。

別に、あいつのことを引きずってるわけじゃない。
足が細くなるマッサージを毎日続けたおかげで、だいぶ細くなってきた、ような気がするし。
自転車通学だから動きやすい格好の方がいいし。
あいつより背が高い男子いっぱいいるし。

別に、気にしてるわけじゃないけど。
私はたぶん、『こういう格好』の方が似合ってる。
ただそれだけだ。

 

「柳瀬はなんつーか、服もそうだけど、サバサバしてて『女』って感じがあんましないのがいいわ」
「俺大学入るまで『男女の友情は成立しない』派だったんだけど、案外成立するもんだな!」

ちょっと気になり始めた男子にはことごとく「恋愛対象じゃない」宣言をされてしまい、大学で新しい彼氏を作ろうという気持ちもだんだん失せていった。

わかってるよ。
『女の子っぽい』のは、私には似合わないよね。

丈の短いスカート。
もこもこの萌え袖ニット。
アスファルトをコツコツ鳴らすピンヒール。

街行く「かわいい女の子」たちを見かけるたびに、羨ましく思ってしまう自分が嫌いだった。

誰に何と言われようと、かわいい格好がしたいならすればいい。
興味のない素振りをやめて、好きなら好きだと言えばいい。

それなのに、またあのときみたいに笑われるのが怖くて、勝手にスカートを履くのをやめて、勝手に『女っぽくない』自分を演じて、勝手に傷ついて、勝手に羨ましがってるだけだ。

私には、『物語』を変える勇気がない。
ましてこの世界には、ドラマチックに全てを変える魔法もない。

――小さいころから今までずっと、ディズニープリンセスが一番の憧れだって知ったらみんなひっくり返るだろうな。

部屋に戻り、ぬいぐるみを抱えてベッドに転がる。
視線を巡らせて、自分の好きなかわいいものばかりを集めた空間を静かに眺めた。

「……白馬の王子様、どっかにいないかなぁ」

 

我ながらつまらない大学生活だったなと思ってしまうけど、遊ぶ時間を就活や資格勉強に費やしたおかげで第一志望の会社に入ることができた。

お母さんはもっと大きくて安定した会社に入ってほしかったみたいだけど、やりたい仕事ができそうな環境を優先した。

プライベートはともかく、仕事では絶対妥協しないって決めたから。

仕事を教えてくれる先輩や上司はいい人ばかりで、どんどんできることが増えて楽しくなった。
「私服出社禁止」なんて IT 企業らしくない就業規則だなと思っていたけど、入ってみたらみんな似通ったスーツ姿なのが気楽でよかった。
女性社員のパンツスーツは少数派だったけど、似合ってるね、と褒めてもらえることもあった。

今までスカートが似合わないことばかり気にしてたけど、パンツが似合うって言ってもらえるの、案外嬉しいものなんだな。
パンツスーツが似合うってことは、きっと「かっこいい」の部類に入るんだよね。

バリバリ仕事をがんばる、かっこいい女。
うん。そうだ。
きっとこれが「私」なんだ。

仕事は楽しいし。
「かわいいのが好きな私」も「かわいくなりたい私」も、私だけが知っていればいい。
それでいいんだ、きっと。

 

入社してひと月くらい経ってから、新卒社員の歓迎会を開いてもらった。

「うちは飲めない人結構いるから、乾杯からソフドリでも全然いいのよ」
「めんどくさい絡まれ方したら私のとこに逃げておいで!」

お酒はあまり強くないから少し不安だったけど、先輩たちにそう言ってもらえて安心した。
男性が多い職場だから飲み会もさぞ盛り上がるだろうと思っていたのに、この会社ではそんなこともないらしい。
つくづくいいところに入れてよかったと思う。

席はくじ引きで、部署がなるべくバラけるようにセッティングされる。
番号のメモを片手に自分の席を探していると、すでに隣に誰か座っているのが見えた。

広い背中に、筋肉質なたくましい腕。
座っていてもわかる体格の良さ。
スポーツやってた人なのかな。

「お隣、失礼します」

声をかけながら覗き込んでみると、目鼻立ちの良い顔が目に飛び込んできて思わず息を呑んだ。

うそ。
うちにこんなかっこいい人いたっけ。

「開発部の岩合です。お酒ダメだったら言えば大丈夫だから、遠慮しないでね」

耳に心地よく響く低い声。
大きな体に相反して穏やかな口調が印象的だった。

――この人が岩合さん?

聞き覚えのある名前と、自分で想像していた姿が全く違ったことに内心驚きながら、先輩たちが話していたことを思い返してみる。

「いっつも怖い顔してるし体も大きいし、ちょっと近寄りがたいよね」
「給湯室でちょっと雑談してたら、いつの間にか入り口のところに立っててすっごい睨まれちゃった……」
「こないだ休みの日に忘れ物取りに来たらまたいたよ。会社に住みついてるって噂、本当なのかな」

そんな話ばかり聞いていたから、それはそれは見た目も内面も怖い人なのだろうと思っていたのに。

聞いてたのと全然違う。
怖いどころか、彫り深めでイケメンの部類だと思うんだけど。

「柳瀬さん、バレー部だったんだよね。俺も中学から大学までバレーやっててさ」
「え!そうなんですか?」
「下手の横好きっていうか、全然強くはなかったけどね。なかなかやめる踏ん切りがつかなくて」

そう言って気恥ずかしそうに笑うのを見て、好感度メーターがぐんぐん上がっていくのを感じた。
私の経験から言って、バレー好きに悪い人はいない。
しかも中学から大学までなんて、筋金入りだ。

絶対いい人だ、岩合さん。
あとかっこいい。

大学に入ってから、大好きだったはずのバレーへの情熱は少し薄れていた。
高校まででバレーはやめると決めていたのもあるけど、彼に投げつけられたあの言葉が、バレー好きだだったことを――女子にしては高い上背も、筋肉のついた太い足も、バレーを全力でがんばった証だった――否定するようなものばかりだったせいもあるかもしれない。

バレーで鍛えた自分の体は好きになれなくても、バレーそのものが好きだったのは本当だ。
岩合さんとのバレー談義は久しぶりに心が弾んだ。

いつの間にか 二杯目のグラスも空になりかけていて、アルコールで頭がふわふわしてきた。
お酒飲むのってこんなに楽しかったっけ。

「柳瀬さんってもっとクールな子かと思ってたけど、よく笑うんだね。ちょっと意外だな」

不意に言われた言葉に心臓が跳ね上がった。

ああ、どうしよう。
何かおかしかったかな。
笑いながら喋るの、私には『似合って』なかったかな。

「笑顔がかわいい人は好きだから、話してて楽しいなって思っ――」

えっ?

「ご、ごめん!なんというかその、今の特に深い意味はなくて……決してセクハラとかではなくて」

慌てたように顔をそらして手を振るのを上の空で見つめながら、必死に言葉の意味を噛み砕こうとした。
この人、今かわいいって言った?私を?

――あ、耳から首までまっかっかだ。すごい照れてる。

その瞬間、教会の鐘の音が頭の中に響き渡った。

ああ、そうか。
恋に落ちる音って、本当に鐘の音なんだ。知らなかった。

つられてこちらの顔も一気に茹で上がってしまったけど、もともとお酒で赤くなっていたせいか気づかれずに済んだみたいだ。

お開きの頃になって、いても立ってもいられず思い切って連絡先を聞いてみた。
幸い断られることもなく快諾してくれて、なんとか「次」につなげるきっかけになりそうだ。

LINEのアイコン画像が、応援していると言っていたチームのロゴで思わず口角が上がる。
本当にバレー大好きなんだな。

飲み足りない面々に囲まれて二次会に向かう背中を眺めながら、お酒に弱い体質を初めて悔しく思った。

他の男性社員たちと比べても、頭ひとつ高い身長。
きっと私が高いヒール靴を履いても、10cm 以上は差があるだろう。

――いつかあの人の隣を、かわいく着飾って歩けたら。

今わかっている共通点は、バレーしかない。
なんとかしてお近づきにならなきゃ。

 

「うーん……」

スーツも脱がずにスマホを見つめ、唸り始めてずいぶん経つ。

歓迎会からはや半月。
お近づきになるための手段を考えている間に、何もできないままどんどん時間が過ぎてしまった。

試合観戦に誘うのが一番自然なんだろうけど、残念ながら V リーグはこの時期シーズンオフだ。
バレーの話の続きがしたいから、ご飯でも……って、おかしいおかしい。ゴリ押しがすぎる。
わざわざ雑談の続きをするためだけに会ってくれるほど暇じゃないだろうし。
一度断られたら立ち直れないかも。

なんとかバレー関連の話題で興味を引きたかったのだけど、なかなかいい案が思いつかない。
歓迎会からあまりに時間が経ちすぎてしまうと、バレーの話で誘い出すのも不自然になってしまいそうだ。
早く次の手を打たないと。

思考を遮るように、目の前のスマホが短く震える。
ネットニュースの新着通知だ。
タイトルに興味を引かれて、そのまま無意識に記事を読み始める。
スマホにはすっかり好みを学習されて、スポーツやディズニーの話題が途切れることなく届くようになっていた。

いくつか流し読みしたところで、サマーリーグの試合日程に関する記事が目に留まる。

「……これだ!」

サマーリーグは若手の女子選手が集う大会だ。
V リーグ男子の試合ほど迫力はないかもしれないけど、バレーの生試合が見れるのには違いない。
これでいってみよう。

早速二人分のチケット予約を済ませ、一呼吸置いてからメッセージを打ち込んでいく。

自然に、自然に……
あ、チケット予約するの返事来てからにすればよかったかも。

何度も書いては消しを繰り返し、やっとの思いで送信ボタンを押す。
既読がつくのを確認するのがなんとなく怖くて、あえて他のことをして気を紛らわせたりもした。

しばらくして再び短く震えたスマホを慌てて手に取る。

【お誘いありがとう。サマーリーグって、たしか女子の試合だよね。試合観戦しばらく行けてなかったから嬉しい】
【予定空けておくね。楽しみにしてます】

「……ぃやったああー!」

とりあえず、これで一歩前進だ。

 

当日は気持ちがはやって何度も明け方に目が覚めてしまった。

そわそわと落ち着かない気持ちのまま身支度をする。
最近お気に入りのワイドパンツに足を通し、やっぱり細くなってきてるよね、とさすりながらつぶやく。
試合観戦に行くんだもの。服はそこまで気取らなくていいはずだ。

日差しもどんどん暑くなってきているし、顔に汗かかないように髪は結んでおこう。

クマができていないか確かめながら、いつもより丁寧にメイクをしていく。
いつもより、ほんの気持ちだけチークを濃く入れてみた。

「……行ってきます!」

約束の時間にはまだ少し時間があったけど、待ち合わせ場所ではもうすでに岩合さんが待っていた。
高い背のおかげで、遠目からでもよく見える。
シンプルなモノトーンのジャケットコーデ。
見慣れたスーツ姿と同じような色合いなのに、私服だと雰囲気が全く違う。

――あ、髪切ったんだ。いつもより短いのもかっこいいなあ。

たまたまだろうけど、この日のために身なりを整えてきてくれたのかもしれないと妄想して顔がニヤけそうになる。

試合中は動き回る選手とボールを目で追うフリをしながら、事あるごとに横顔を盗み見ていた。
コートを見つめる瞳は、仕事中さながらに真剣だ。
きっとこちらがチラチラ視線を寄越しているなんて夢にも思っていないだろう。

コートに視線を戻して、白熱しだしたラリーを見守る。

――プライベートでお出かけできたのは嬉しいけど、このあとどうしたらいいんだろう。

結局試合が終わった後も、印象に残ったプレーの感想を言い合うだけで特に進展もないまま終わってしまった。
向こうは今日のことをデートのうちにカウントすらしていないだろう。

このままじゃだめだ。
なんとか次につなげなきゃ。

その日から、デートにつながりそうなバレー情報を片っ端から集め始めた。

V リーグの選手がお気に入りで通っているごはん屋さん。
SNS で紹介していた愛用グッズを売っているお店。
元バレー選手が経営している居酒屋。

我ながらちょっと強引かなと思いつつ、誘えば毎回 OK してくれるものだからなりふり構わずいろんなところへ行った。

ただ、会うたびに距離が縮まっているかというと、そんな気は全然しない。
このまま会う回数を重ねても、これ以上の関係になるのは無理かもしれない。

――もうこうなったら、当たって砕けるしかない。

「……岩合さん!」

周りに人気がなくなったタイミングを見計らって、思い切って声をかける。
いつもと変わらない優しい瞳を見つめながら、緊張で震える唇を無理やり動かして言葉を紡いだ。

「あなたが好きです。私とお付き合いしてください」

豆鉄砲を食らった鳩のよう、とはこういう顔のことだろうか。
目を見開いてフリーズしてしまったのを見て、やっぱりダメか、と次に来る断り文句を想像して裾を握りしめた。

「……よ、よろしくお願いします……」

だからまさか、OK してもらえるなんて思いもしなくて、しばらく自分の耳が信じられなかった。

 

「注文してた備品届いたよー。ボールペンと、クリアファイルと、マウスと……」
「あ、私やっときます!」
「そう?じゃあよろしくね」

お付き合いが始まってからは、隙きを見ては圭介さんと接触できる機会をうかがっていた。
仕事では妥協しないって決めたけど、ちゃんと仕事をする分には多少の公私混同は許されるはずだ。

パソコンに向かう後ろ姿が、ひときわ目立つ大きな背中。
カタカタと軽快にキーボードを叩く手を見て、うっかりつないだときのあたたかさを思い出してしまった。
慌てて頭の外に叩き出して、表情を作り直す。

「岩合さん、新しいマウスが届きましたので確認お願いします」

振り返る一瞬、視線が交わる。
いつもと違う角度で顔を眺められる貴重な時間だ。

「ありがとうございます」

心なしかいつもより優しい顔をしている気がして、つられて顔が溶けてしまわないうちに素早くその場を離れた。

あんな顔で笑う人を怖いだなんて、みんなどうかしてる。
そうは思うものの、彼の魅力に気づく人間が増えてもライバルが増えるだけだから困ったものだ。
それに、なんだかこのシチュエーションは「美女と野獣」っぽくていい。
肝心のヒロインが美女じゃないのが残念なところだけど。

なんとか真面目な顔を保ったまま自席に戻り、ほっとひと息つく。
最近編み出した「邪念が沸いたらボールに見立てて頭の外に叩き出す」方法は今のところうまくいっているみたいだ。

付き合っていることは秘密にしてくれと言われたわけじゃないけど、社内恋愛が周囲に知られるメリットはそんなに多くない。
自分の仕事に支障が出たら困るのはもちろんだけど、何より圭介さんの邪魔になるようなことだけは避けたかった。

真剣な顔で何やら調べ物をしているのを遠目に見ながら、目の前の仕事を再開する。
12 月は年末調整もあるから、普段よりうんと忙しくなる。
一日お休みをもらえるように、しっかり働いておかないと。

 

今年も早いもので、気づけば紅葉も見ごろを迎えていた。
まだひと月あまりあるのに、一足早く「クリスマス限定」と銘打った広告があちらこちらで目につく。
そんな世間の流れに大いに便乗して、今日はクリスマス限定メニューのパンケーキを食べに来た。

甘いものはそんなに得意じゃなくて、とブラックコーヒーを注文するのを見て、嬉しいやら申し訳ないやらで複雑な気持ちになる。

向こうから誘ってきたから、てっきり圭介さんも甘いもの好きなのかなって思ったのに。
私のためだけに連れてきてくれたんだ。

そういえば、これまでのデートでも事あるごとに気配りしてくれていた。
ただ歩くだけでも、寒くない?休憩しようか?とこまめに声をかけてくれるし、歩くペースも自然と合わせてくれてるし。
エスカレーターやエレベーターの立ち位置もそうだし、お店に入るときは空調の風が直接当たらない方の席にさりげなく誘導してくれる。

慣れてるのかな、と思うと顔も知らない誰かに妬いてしまいそうだ。
でも、すごく、すごく、「女の子扱い」してくれている。と思う。

運ばれてきたパンケーキは、写真に偽りない華やかな出来栄えだった。
アイスクリームが乗ったふわふわのパンケーキに、たっぷりの抹茶クリームと赤いイチゴのソース。
星をかたどったクッキーのデコレーションも相まって、食べるのがもったいないくらいかわいい。

角度を変えて写真を撮り続けるのを、圭介さんはコーヒー片手にニコニコしながら眺めている。

口いっぱいに頬張ってみれば、クリームの甘さとソースの甘酸っぱさが程よい塩梅だ。
美味しい?と聞かれて何度も頷くと、目尻の皺が一層深くなった。

――ああ、幸せだなあ。

店内で流れるクリスマスソングに、ふとあの日のことを思い出す。

きっとこの人なら大丈夫。
そう思うのに、結局今日も無難なパンツスタイルに落ち着いてしまっていた。

もう、あの日のことに引きずられたくない。
ちゃんと乗り越えたい。
圭介さんならきっと、私の「なりたい自分」も受け入れてくれる。

「……ところで、あの、圭介さん」
「ん?」
「今って、お仕事忙しいですか」

一時は会社に住みついてると噂されていたくらいだ。
今日は大丈夫そうだけど、実際のスケジュールがどうなっているか私にはわからない。

「いや、特に忙しくはないよ。なんで?」
「実は、その……」

ああ、こんなに緊張するのは告白したとき以来だ。

「く、クリスマスは一日一緒に過ごしたいんですけど、お休み取れそうですか」
「えっ?」

朗らかだった顔を急に曇らせて、黙り込んでしまった。
やっぱりクリスマスに休み取るなんて無理だったかな。

「……あの、もし無理だったら――」
「いや!大丈夫!絶対空けとくから!」

さっきまでの暗い雰囲気がウソのように、キリリとした表情で大きな声が返ってきた。

どうしたんだろう。
戦に出る武士みたいな凛々しい顔して。
まあ、でも、OK してもらえてよかった。

翌日にはさっそく、両手に余るほど大量のファッション雑誌を買い込んだ。
部屋の一角に山と積み上げてから、ひとつひとつ順番にページをめくっていく。

次のクリスマスデートは、絶対に成功させたい。
今度こそ、かわいいねって言ってもらえるといいな。

戦の準備は慌ただしく

あれからすぐに申請した有給休暇は無事に通った。
二年前のことをどこまで把握しているのか知らないが、上司には生温かい笑顔を向けられることが多くなってしまってなんとも気まずい。

だが、こんな些細なことを気にしていてはあの日の二の舞だ。
誰に何と思われようと構うものか。

「岩合おつかれー」
「おう、おつかれ」

二年前やらかした早川とは、なんだかんだで一番仲良くやっている。
あれから人一倍丁寧な仕事をするようになり、もともとの気さくな人柄も相まって後輩たちにはかなり慕われているようだ。

最近は担当案件の関係で仕事中の関わりは減ってしまったが、こうして給湯室で行き会ったときはちょっとした雑談を楽しむのが常だった。

「今年もあっという間に終わっちまうなー」
「そうだな」

本当に、今年は特にいろいろあって飛ぶように時間が過ぎてしまった。

「なー、今年はどうする?参加できそうか?」
「ん?」
「いやほら、去年は……俺が言うのもなんだけど、まだ全然傷が癒えてなくてそれどころじゃなさそうだったし」
「――ああ、あれか」

うちには恋人も伴侶もいない男性社員だけで密かに構成された「ぼっち会」が存在する。
毎年クリスマスの前後には忘年会よろしく集まってはお互いを励ます会が――言ってしまえば傷の舐め合いだが――行われているそうだ。

去年も早川含め、それと察した数名から声をかけてもらったのだが、酒を入れたところで虚しさが募るだけだと思って断ったのだ。

「今年はいつもの居酒屋よりちょっといい店予約したらしいぞ。どう?」
「あー、気持ちはありがたいんだが、その」
「……そっか」

残念そうに肩を落とすのを見て、誤解されていると気づき慌てて付け足す。

「あ、いや、なんというか……参加資格がない的な意味で、なんだけど」
「――へっ?」

数瞬間をおいて、状況が飲み込めたのか自分のことのように喜び始めた。

「マジか!良かったなあああ!おめでとう!」

両手で握った手をブンブンと振られて、思わず周りに人がいないか確かめた。
まだ結婚したわけでもないのに、大げさな。

「最近無茶な仕事の仕方しなくなって安心してたけど、そういうことかよ!早く言えよー!」
「ああ、うん……なんかすまん」
「じゃあな!クリスマス楽しんで!」

気が済んだのか、爽やかな笑顔とともに身をひるがえして去っていくのをぽかんとしたまま見送った。
そこまで気にする必要なんてないのに、どうやらずいぶん気苦労をかけてしまっていたようだ。
あの様子では、まさか社内恋愛中だとは思うまい。
相手が朱里だと知ったらどんな顔をするだろうか。

目を見開いて大げさに驚くのを想像しつつ、若干冷めてしまったコーヒーを手に仕事へ戻った。

 

仕事帰り、少し寄り道をして繁華街を通る。
なにを隠そうクリスマスプレゼント探しだ。
ただ、これがなかなか上手くいかない。

めぼしい店を外から眺めては、ガラス越しに店員と目が合って慌てて逃げ出すという不審極まりない行動をこの数日繰り返していた。

――男ひとりで入店するのは、ハードルが高すぎる。

少し離れたところからジュエリーショップのきらびやかな看板を見上げ、意気地のない自分を恨めしく思った。

「いらっしゃいませ!どうぞごゆっくりご覧ください」
「彼女様へのプレゼントをお探しですか?」
「こちら当店人気ナンバーワンの商品でございます」
「ご予算が大丈夫であれば、こちらの方がより女性の美しさを引き立たせるデザインとなっておりまして」

入口近くに陣取っていた店員にまくしたてられて、とてもじゃないが「ゆっくり」見て回るのは無理だと悟って慌てて逃げ出したのが最初の店だ。
それ以来中に入る勇気がすっかり挫けてしまった。

体の大きさに比例して、男気とやらも立派に育ってくれればよかったのに。
そんなことを考えていても仕方がないのだが、結局今日も何の収穫もないまま帰ってきてしまった。

いろいろ考えた結果、プレゼントをネックレスにするところまでは決まっている。
いつもシンプルな服装が多い朱里に、ワンポイントになるアクセサリーを何かひとつ贈りたいと前々から思っていたのだ。
付き合い始めたときにはお互い誕生日も過ぎてしまっていたので、クリスマスプレゼントが初めての贈り物になる。

うちはスーツ着用こそ義務付けられているものの、基本的に対面の顧客対応がない部署に関してはアクセサリーや髪型は比較的自由だ。
ただ、イヤリングだと長い髪に隠れて目立たなくなってしまうし、ブレスレットはサイズによっては何かと邪魔になってしまうかもしれない。
その点ネックレスは、スーツにも合うようなデザインのものならプライベートも仕事の日も使ってもらえそう。

そう思って狙いを絞ったのだが、本人のいないところで似合いそうなアクセサリーを探すというのは思った以上に大変だった。

「……こっちもそろそろ決めないとまずいよなあ」

スマホを手にベッドで寝転びながら、『クリスマスデート 社会人』などと検索してみるが、ヒットするのはディナーメインの内容ばかり。
昼間の予定がなかなかしっくりこなくてデートプランも決めきれずにいた。

二年前はたしか、前の彼女たっての希望でリニューアルオープンした水族館に行く予定だった。
あのときは特に気にもしなかったが、クリスマスの水族館は学生カップルでごった返す印象だ。
朱里は俺のことを大人の男として見てくれている――と思いたい――から、もうちょっと落ち着いたところの方がいいだろう。

ウィンドウショッピングという手もあるが、前の彼女と付き合いたての頃あちこち連れ回して靴ずれさせてしまったのを思うと気が引ける。
できればなるべく動き回らずに済むのがいい。
かといって、昼間から部屋に呼ぶのはちょっと。

あれこれ悩んでいるうちに、時計の針はどんどん進んでいく。
イルミネーションとディナーは決まりとして、昼間どこで何をするか決めておかないと店の予約もしにくい。

「――店の予約」

そういえば、クリスマスディナーの予約っていつぐらいまでにするものなんだろう。
当日飛び込みはさすがに無理として、よほどの人気店でなければ 3 日前くらいまでなら間に合うだろうか。

そう思って調べてみて、サーッと血の気が引いた。
学生のときはレストランやホテルでディナーなんてしたことなかったから知らなかった。
慌ててカレンダーを確認するが、クリスマス当日までもうあと 2 週間を切ってしまっている。

マズったか?今からでも間に合うか?
背中に嫌な汗をかいているのを感じながら、慌てて予約サイトで人気店を調べていく。

とりあえずイルミネーションスポットが近いところを最優先で考えよう。
いざとなったら移動はタクシーを使えばいい。

案の定ランキング上位の店はもう埋まってしまっていたが、それでもなんとか空きがあったところに滑り込めてほっと胸をなでおろした。

危なかった。
気づくのがあと数日遅かったら、社会人にもなってクリスマスの夜をファミレスで過ごすハメになっていたかもしれない。
思い立ったときに何でも調べられる時代に生まれてよかった。
インターネット様様だ。

そんなことを考えて、ふと手元のスマホに視線を戻す。

「……プレゼントも、ネットで探してみるか」

最近では何を買うにもネット注文することが多くなった。
プレゼントを通販で済ませるのはなんとなく気が引けるが、店員にあれこれ詮索されることもないし、せっかくだからネットでどんなものがあるかだけでも見ておこう。

「ネックレスってひとことで言っても、いろいろあるんだな」

きらびやかでよく目立つものから、華奢でさりげないものまで。
仕事でもプライベートでも使えそうなラインのものを選ぶとなると……

「『ダブルリング』か。こういうのもいいな」

シンプルでありながら、組み合わさった二つのリングが程よいアクセントになっている。
リング部分が小ぶりなものなら、スーツにも合いそうだ。

興味が沸いて、ダブルリングのネックレスについてもう少し調べてみる。
クリスマスプレゼント用のものは、ペア商品も多いみたいだ。

ペアのネックレスか。
生まれてこのかたネックレスなんてしたことがないから、自分が着けているのを想像すると気恥ずかしく感じてしまう。
だが、悪目立ちしないデザインなら俺にも着けられるものがあるかもしれないな。

『ダブルリングネックレス』で出てきた商品をいろいろ見て回ったが、いまいちピンとくるものが見つからない。
やっぱり、こういうのは店で探したほうがいいんだろうか。

そんなことを考えているうちに、ダブルリングのネックレスに込められた意味の解説ページにたどり着いた。

「『永遠の絆』……『途切れることのない愛』……」

なんだか急にこっ恥ずかしくなって、思わず画面を閉じる。
そういう気持ちがあるのを、否定はしないけれども。

「まあ、でも、プレゼントに『意味』を込めるって手は、いいよな」

俺にとって大事なリベンジのときであるのは間違いないが、できることなら朱里にとっても特別なクリスマスにしたい。
それこそ、長い長い時間が経ったあとも思い出に残るような、特別な日に。

そう思い直して、今度は『プレゼント 特別感』で調べてみた。
気持ちが伝わる名入れギフト、と謳うタイトルに興味を引かれてタップしてみる。

「へぇ……こんなのもあるのか」

開いた記事は、名入れギフト専門店のサイトのものだった。

名入れギフトとは、贈る相手の名前やメッセージが入っているプレゼントのことを言うらしい。
オーダーメイド品だから、当然名入れの内容はひとつひとつ違ってくる。
準備するのにひと手間かかっているのが目で見てわかる分、込めた気持ちが相手に伝わりやすくなる、と。
そして、やはり恋人に贈るならペアギフトの方が「特別感」は増すようだ。

――なるほど、オーダーメイドか。それもいいな。

そこまで思って、改めてカレンダーに目をやる。
オーダーメイドなら、やっぱり時間がかかるよな。
万が一間に合わなかったら、クリスマスの最悪エピソードがまたひとつ増えてしまう。
店はなんとかなったが、こればかりはさすがに……

「……いや、店がどうにかなったんだから、こっちもどうにかなったりして」

記事を読み進めていくと、驚いたことに『最短翌営発送』の文字がある。
これが本当なら、今から注文しても十分間に合うだろう。
この店でダブルリングネックレスは扱ってるだろうか。

ショップページに飛び、『ダブルリングネックレス ペア』で検索してみる。

「これは――ケースに名入れができるネックレス、か。悪くないな」

他の店の名入れネックレスとひと味違って、これは専用ケースに彫刻を入れるタイプらしい。
面積が広い分、名前だけではなくメッセージや日付も入れられるようだ。

デザインは思い描いていたものに近いし、ギフトラッピングも付けてくれるならプレゼントとして申し分ないだろう。

「……物は試し、かな」

プレゼントのイメージはできた。
もしも思ったのと違ったら、届いた後ででも店に買いに行くことにしよう。

彫刻内容でしばらく悩んだ末、意を決してカートボタンを押した。

休み明けはおそろいで

ショッピングモールの一角。
待ち合わせ場所には約束の 30 分近く前に着いてしまい、スマホをいじるフリをして時間を潰していた。
今日のプランを頭の中で繰り返し確認しながら、時おり辺りを見回して朱里の姿を探す。

いろいろ悩んだ末、昼間は映画館で過ごすことにした。
そのあと、夕方から点灯するイルミネーションを混雑し始める前に堪能し、予約した時間に合わせて店に移動する予定だ。

ドタバタした割に、なんとかそれなりのプランになったんじゃないだろうか。
ちゃんと楽しんでもらえるといいんだが。

約束の時間まで残り 5 分を切り、いよいよかと朱里が来るであろう方向を凝視して姿を探す。

「圭介さん」

想定の真逆の方向から声をかけられた。
なんてこった。初手から痛恨のミスだ。

そんなことを思いながら慌てて振り返って、いつもと違う雰囲気に思わず瞳孔が開くのを感じた。

まずメイクがいつもと違う。
いつもまっすぐ見つめてくれる瞳はより大きく見える気がするし、顔色も少し明るいような。
普段はほんのりピンクで自然に近い色だった唇も、赤みが増して艶っぽくなっている。

それに、膝下で揺れるスカート。
見慣れたパンツスタイルもとても良く似合っていたが、スカート姿も新鮮でいいな。
うっすらと肌の色が透ける黒タイツに、程よく引き締まったきれいな足。
いつもはパンツに隠れて見えなかったが、細すぎなくて健康的ないい足だ。
うん。とても、いい。

足元を見れば、こちらも初めて見る靴だ。
かわいらしいリボンの飾りに、細く長いヒール。
いつもより顔が近い気がするのはこのせいか。
きっとこれも今日のために新調したのだろう。

女子のおしゃれ事情はさっぱりだが、そんな自分にもわかるほど手間ひまかけてくれたのを感じた。
今日のために、気合を入れて準備してくれたのがひしひしと伝わってとても嬉しい。

ああ、俺ももうちょっと頑張ればよかったかな。
このあとレストランに行くから、一応普段よりは上品に見える格好をしてるつもりなんだが。

特に深く考えなくても無難にまとまるという理由で、普段からモノトーンコーデばかりに甘んじていたのを少し後悔した。

「……あ、あの、圭介さん」

何も言わずにじっと見つめているのにしびれを切らしたのか、遠慮がちに声をかけられる。

「ああ、ごめん。つい――」
「やっぱり、おかしかったですか」

やっぱり?
物言いを不思議に思って顔を覗くと、せっかくのかわいい顔がすっかり曇ってしまっている。
なんでだろう。何か誤解させるようなことをしてしまっただろうか。

「おかしいどころか、すごく似合ってるよ。いつもと全然雰囲気違って、ちょっと驚いたけど」
「……本当ですか?」

親の顔色をうかがう子どものような上目遣い。
なんだそれは。わざとか?かわいいがすぎる。

だが俺は知っている。
こういうときの褒め言葉は、こっちが正解だ。

「うん。とってもきれいだよ」
「…………惜しい……」
「えっ?なんて?」

小さく呟いた言葉は聞き取れなかったが、もしかして外しただろうか。
いや、耳まで真っ赤になって照れているし、たぶんこっちで合ってたと思うんだが。

「なんでもないです!行きましょう!」

さっきまでの顔がウソみたいに、スッキリした笑顔で軽やかに歩いていく。
ああ、よく見たら髪型もいつもと違うじゃないか。
ハーフアップと言うんだったか、緩くサイドで三編みにした髪をリボンの髪留めでまとめている。
足取りに合わせて揺れるリボンが、掴みどころなくひらひら舞う蝶々のようだ。

「……かなわないなあ」

こっそりつぶやいて、頬を指でかきながらゆっくり後を追った。

今日観るのは、朱里のリクエストで今月公開されたばかりの実写ディズニーだ。
ディズニーは小さいころからロクに観てこなかったから話の筋がわかるか微妙だが、朱里が楽しんでくれさえすればいい。
一番盛り上がるところでこっそり手を握ったりすれば、ロマンチックな演出としてはかなりいいんじゃないか。

……そう思っていたのに。

「……めちゃくちゃいい話だった」
「そうですね!アニメより演出も凝ってて感動しちゃいました!」

なんとしたことか、まんまと見入ってしまって手を握る余裕なんてなかった。
元は子ども向け作品だからと思って完全に油断した。
DVD が出たら絶対買おう。
こんなに心動かすなんて知らなかったぞ、ディズニー。

 

なかなか想定通りに行動できていないが、まだデートは始まったばかりだ。
今のところしっかり楽しんでくれている様子だし、ここらで「大人の余裕」をアピールして株を上げておきたい。

「はい、これ使って」
「あ、ありがとうございます」

手を握るのはすっかり忘れてしまったが、映画終わりにこっそりカイロを開封しておくのは忘れずに済んだ。
これから寒い中しばらく歩くのに、凍えてイルミネーションどころでなくなってしまうといけない。
カイロをコートのポケットに仕舞うのを見届けてから、反対側の手をつないで歩き出した。

まだ日は沈みきっていないが、すでに暗くなりはじめた街にきらびやかな光が美しく輝いている。
この時間なら人混みもそこまでひどくはないだろうと思っていたのだが、想像していたよりはかなり人出が多い。
多かれ少なかれ、みんな考えることは同じなのだろう。

カップルで賑わう通りをいつもよりゆっくり歩く。
今朝の天気予報では気温が低めだったので心配したが、風がないからか思ったより寒くはない。

幻想的なイルミネーションが、先ほど浸ってきたファンタジーの世界を彷彿とさせる。
あの世界観が好きなら、きっとこのイルミネーションも気に入ってくれているはずだ。
今はどんな顔をしているだろう。

横目に様子を見ようと思ったそのとき、にわかに甲高い怒声で通りが騒がしくなった。

一体何があったのか、鬼のような形相で足早に歩き去っていく女性。
男の方は自分に非があると知っているのか、なんとも情けない声を上げながら後を追っていく。
少し離れた先で追いついたように見えたが、それすらも振り払ってまた女性は歩き去ってしまった。

たまたま一部始終を目撃してしまったカップルたちの間になんとも言えない空気が漂っているのを感じる。
あまりの気まずさに、呆然と取り残された男に同情して視線をそらした。

彼らだってこの日を心待ちにしていただろうに。
約束通りクリスマスデートにきちんとこぎつけたところで、もしも大きな失態をやらかしたらああなってしまうのだ。

思わずゴクリとつばを飲む。
横目で朱里の様子をうかがってみれば、何か思いつめたような顔で女性が歩き去った方向を見つめ続けていた。

俺も、何かしくじったらあんな顔で怒らせてしまうかもしれない。
クリスマスにフられるのも、正月に泣きながら過ごすのも、もう二度とゴメンだ。
そういえば怒った顔はまだ見たことがないだとか、そんな悠長なことを言っている場合ではないのだ。

「朱里、大丈夫?ちょっと休憩しようか」
「えっ、あ、いえ。大丈夫です」

ハッと我に返ってそう言う朱里の顔には、まだ暗い色が残っている。
ああ、どうしよう。
ひょっとして、もうすでに何かやらかしてしまっているんじゃなかろうか。

朱里は前の彼女と違って割と自分のことをはっきり言ってくれる子だが、知らず知らずのうちに甘えてしまっていた部分があったかもしれない。
一応こまめに声をかけるようにしてはいるが、それでも口では言いにくいこともあるだろう。
かと言って、正直に言ってくれるまで問い詰めるのもおかしいよな。

そんなことをグルグルと考えながら、イルミネーションを眺める余裕も無くして上の空で歩き続ける。
通りがかった店先にサンタ帽をかぶったクマのぬいぐるみが飾られていて、余計なことをいろいろ思い出してしまった。

「……あ、すみません。ちょっと」

朱里が急に立ち止まった。
足を気にしているようだが、もしかして靴ずれしてしまっただろうか。

慌てて辺りを見回すが、近くに座れそうなところは見当たらない。
たしかさっきベンチの前を通り過ぎた気がするが、そこまで歩けるだろうか。

「ごめん、気づかなくて……歩くペース速かったかな」
「あ、いえ。慣れない靴なので、ちょっと疲れてしまって」
「靴ずれしちゃってない?さっきのベンチまで歩ける?」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます」

ゆっくりゆっくり歩いて、ようやくベンチにたどり着く。
ほっと息をついて足を揉む様子にいたたまれない気持ちになった。

こんな体たらくで「大人の余裕」だなんて、聞いて呆れる。
余計なことを考えてぼんやりしているからこういうことになるんだ。
朱里にもあの子にも失礼極まりない。ちゃんと頭切り替えないと。

「……すみません。もう少し早く言えばよかったですよね」

申し訳なさそうにそう漏らす朱里の足をよく見れば、靴ずれ防止のためか絆創膏が貼ってあるのがタイツ越しに見えた。
せっかく対策してきてくれていたのに、結局つらい思いをさせてしまったな。

「そんな水くさいこと言わないで。歩く時間、もっと短くすればよかったね。ごめん」
「いえ、私もついさっきまでイルミネーションに見惚れてて……休憩する時間がもったいないなって」

イルミネーションの照明で逆光になっている中、照れ笑いを浮かべているのが見て取れた。

「このままどこまでも一緒に歩いていけたらいいなって、そう思っちゃったんです」

――ああ、くそ。やられた。

心臓がキュンと音を立てて跳ねる。
なんなんだそれは。やっぱりわざとなんじゃないのか。

えへへ、とかわいい顔で笑うのを見ていると、なんだかもてあそばれているような気分になってくる。
これはこれで、決して悪い気はしないけれども。

時計を確認すると、店の予約時間までもうそろそろといった頃合いだった。
まだ歩き始めたばかりだと思っていたのに、朱里といると本当に時間が飛ぶように過ぎてしまう。

「じゃあ、もうちょっと休んだらそろそろお店行こうか。寒くない?」
「大丈夫です、カイロとっても温かいので!」

気持ちのいい笑顔でそう返され、つられて顔が緩んだ。
うん。やっぱり、朱里は笑ってる顔が一番かわいいな。

絶対に泣かせるようなことはするまい、と決意を新たにした。

 

元から空いていたのか、それとも偶然キャンセルが出たところに滑り込めたのか。
一歩出遅れたにも関わらず、入店したレストランでは外のイルミネーションがよく見える窓側の席に案内してもらえた。
これならまさか、冷や汗をかきながらギリギリのタイミングで予約したとは思われないだろう。

実を言うと、今も慣れないテーブルマナーに悪戦苦闘しているし、この後のことを思って内心滝のような汗をかいている。
ナイフを持つ手が震えないように気を張り、「大人の余裕」があるフリをしながら会話をするというのはなかなか難易度が高い芸当だった。

ああ、ドレスコードだけ軽く調べて満足していた浅はかな自分を殴りたい。
おかげで何を食べても砂を噛んでいるみたいだ。

「お料理、どれもとっても美味しいですね」
「そ、ソウダネ」

朱里がうまいと言うなら、きっとうまいんだろう。
口コミは高評価で入れておくか。

やっとの思いで料理を食べきり、空の皿が下げられたところですぐ近くの席から歓声が上がった。
どうやらプレゼント交換が始まったようだ。
お互いに素敵なものを贈ったのだろう。とても盛り上がっている。

デザートの後にしようかと思っていたが、この状況で先延ばしにするのは逆に不自然かもしれない。
考えているうちに、気づけば朱里の方が一足先にカバンの中を探っている。
本当はこのタイミングもリードしたかったのだが、もうそんなことを言っている余裕はない。

自分のカバンの中のプレゼントに軽く触れて確かめてから、まずは手渡されたプレゼントを受け取った。
金リボンがあしらわれた細長い四角の箱。
このサイズ感はひょっとして。

「開けていいよね?」
「もちろん!」

中身は予想した通りネクタイだった。
ただ意外だったのは、自分では絶対選ばないであろう色だったことだ。
深いボルドーの生地に、上品なシルバーのストライプ。
いつものと全く雰囲気が違うから、これを着けるのはなかなか勇気がいる。

「圭介さん、いつも黒とか紺とか、同じような感じのネクタイばっかりだなってちょっと気になってたんです」
「うっ……」

完全に見透かされてる。
ご推察の通り、冠婚葬祭でも使えそうな黒ネクタイと、微妙に色が違うだけの紺ネクタイ数枚しか持っていない。
一応ローテーションを組んでこまめに洗濯もしているのだが、あまりに無精で見ていられないということだろうか。

「もしかしたら好みじゃないかもしれませんけど……でも、絶対この色似合うだろうなって思って」

どうでしょう?と少し不安げにほほえみながら問われ、改めてネクタイに視線を落とす。
自信はないが、朱里が似合うと言ってくれるなら、きっとそうなのだろう。

自分には不釣り合いだと引け目を感じていたネクタイが、すっと手に馴染んだような気がした。

「ありがとう、とても気に入ったよ。大事に使うね」

休み明けにさっそく着けていこうかな、と付け足してみたら、とたんに不安の色が消えて花が咲いたような明るい笑顔になる。

さて、これでもう後には引けない。
プレゼントでもらったのが一目瞭然のネクタイを部内の面々に茶化されるのを思うと恥ずかしくて穴に埋まりたくなるが、朱里のためなら耐えられるだろう。
早川は……きっと菩薩のような笑顔で遠巻きに見てくるかな。
それはそれでめちゃくちゃ恥ずかしい。

受け取ったプレゼントの箱を一旦閉じ、こっそりフーッと息を吐きながら自分のカバンに手を伸ばした。

――ついにきた。このときが。どうか上手くいってくれ。

緊張で口の中が乾いているのを感じつつ、ギフトバッグを手渡す。
クリスマス用のラッピングシールが貼られた箱を開けるのを、固唾を呑んで見守った。

「わあ……すごい」

ケースに入れられた彫刻が、オーダーメイドであることにちゃんと気づいてくれたようだ。
俺と朱里の名前と、簡単なメッセージ、それに今日の日付を入れてある。
しっかり彫刻してあってこすっても消えたりしないから、気に入ってくれれば長く思い出に残る品になるだろう。

朱里は彫刻を少し指でなでてから、静かにケースを開けた。
一瞬驚いたように目を見開いてから、黙ってじっと中身を見つめる。
ほんの一瞬のはずの時間が、とても長く感じた。

――早く、何か言ってくれ。

「……これ、私に似合うと思いますか……?」

やっと口を開いてくれたと思ったら、少し眉尻を下げて複雑そうな顔をしている。
ああ、これはひょっとして、やってしまっただろうか。

「俺は、きっと似合うだろうなと思ったんだけど……好みじゃなかったかな」

頬をかきながら、たまらず顔をそらしてテーブルクロスの皺に視線を落とす。
アクセサリーの類を身に着けないのは、やはり趣味に合わないからだったのだろうか。

「いえ、その……こんなかわいいネックレス、私に似合うかなって」

ケースの中身を見つめながら、神妙な面持ちでそう言った。

朱里のことだから、気に入らなかったらはっきりそう言ってくれそうなものだが。
本当に自分には似合わないと思っているんだろうか。
こんなかわいい子に似合わないなんてことないだろうに。

「……じゃあ、試しに着けてみてよ」
「えっ!ここでですか?」

恥ずかしげに辺りをキョロキョロとうかがう朱里を何度か促すと、ようやくその気になってくれたようだ。
唇を結びながらおそるおそるといった様子で首の後ろに手を回し――ああ、どうせなら俺が着けてあげればよかったじゃないか。ことごとく詰めが甘い――予想通り、ネックレスはとても良く似合っていた。

鎖骨のラインがきれいに出ている首元に、淡いピンクゴールドのリングがきらきらと輝いている。

「うん。やっぱり、とても良く似合ってるよ」
「ほ、本当ですか」

まだ緊張しているのか、ぎこちない動きでそろそろとカバンに手を伸ばす。
手鏡を取り出してしばらく自分の姿を眺めるうちに、ゆるゆると笑顔になっていった。

「ありがとうございます。大事にします」

――ああ、よかった。

安堵のため息をつきたいのをぐっとこらえて、さらなる仕掛けへと向けて気を引き締め直す。
ここからが本当の山場だ。

「あー、実はさ、もうひとつあって」
「え?」

手渡したものと別にしてあった、もうひとつのネックレスを取り出す。

「実はこれ、おそろいなんだけど……ど、どう思う?」

色違いの黒いケースを見せながら、おずおずと顔色をうかがう。
ちゃんと「特別感」とやらは伝わってるだろうか。

「おそろい……」

ぽーっとした顔でしばらく見つめたあと、絵に描いたような満面の笑みになった。

「すごく、すごく嬉しいです!!」

いつものよく通る声が店中に響き渡った。
周りにクスクスと笑われているのを感じたが、当の本人は気づいていないのか恥ずかしがる様子もない。
しきりに目を輝かせて、それはそれは喜んでいるようだ。

――ああ、よかった。本当によかった。

見計らったようなタイミングで、デザートが運ばれてくる。
甘いものがこんなに美味しく感じたのは、生まれてはじめてだった。

 

手をつなぎ、駅に向かってゆっくり歩く。
コツコツとアスファルトを鳴らすヒールの音が心地いい。

店を出る前に朱里にせがまれて、今は俺もネックレスを着けている。
慣れない留め具に手間どって、結局最後は朱里に着けてもらったのだ。
これじゃ理想のシチュエーションと真逆じゃないか、とは思ったものの、男でこれだけ胸が高鳴るなら女子がされて喜ぶのは間違いない。

次の機会は、絶対に俺が着けてあげるようにしよう。

嬉しそうに笑う顔を思い出しながらちらりと横顔を見やると、何となく気がふさいでいるというか、微妙に暗い顔をしているように見えた。

――あれ。まさか、ひょっとして、さっきのは喜んだ「フリ」だったか?

乾き始めていた背中に再び汗が流れ出した。
どうしよう。好みでもないネックレスをその場の流れで着けさせられたと思っていたら。

「……あ、朱里。そのネックレスなんだけどさ」
「――え?」

きょとんとした顔でまばたきしながら見上げてくる。
ああ、そういう顔もいいな。いやそうじゃなくて。

「あー、その。あげといてなんだけど、ちゃんと使えそうかな。服のコーディネートとの兼ね合いとか、その」

なんと言っていいかわからず、しどろもどろになりながら真意を問うてみる。
はっきり言われるのも怖いが、変に気を遣われてはぐらかされるのも嫌だ。
ダメならダメだとひと思いに切り捨ててくれ。

「はい、私服だけじゃなくてスーツでも使えそうなデザインなので。明日から毎日着けますね」

さらっと笑顔でとんでもないことを言われて、安堵と恥ずかしさで表情筋がだらしなく緩んでしまう。
毎日着けるって言ったか。毎日。

付き合っているのを誰にも知られていない職場で、俺からもらったネックレスを毎日着けて仕事をする朱里を想像して、なんとも言えない満足感で心が満たされた。

しかし、そんなに気に入ってくれたのなら、さっきの顔はなんだったのだろう。

「少し、顔色が暗いかなって思ったんだけど。もしかして具合悪い?」
「あ、いえ……なんというか、もうすぐこの時間が終わっちゃうんだなって思ったら、ちょっと寂しくて」

悲しげな苦笑いを浮かべてそんなことを言うものだから、無意識に力が入っていた肩がガクッと落ちる。

――ああなんだ、そういうことか。

俺だって、ホテル街へ続くと思われる通りへカップルたちが消えていくのを見送りながらもどかしく思っていた。

朱里は今月が一番忙しい時期だ。
今日休むためにかなり残業もしていたようだし、明日からもしばらくは息つく暇もないだろう。
できることなら泊まっていきたいところだが、スーツに着替える手間もあるし、万が一仕事に支障をきたすといけない。

残り短くなった道のりを、先ほどよりさらにゆっくり進んでいく。
すっかり日が落ちた街に輝く明かりは、さっきよりもうんと輝いて見えた。

 

朱里の家は、最寄り駅から程近いところにある。
普段のデートでも家の前まで送るようにしているが、今日は一段と駅から近かったような気がして若干物足りない。
往来には駅に出入りする人が絶えず行き交っていた。

「圭介さん。今日は本当にありがとうございました。今までで最高のクリスマスでした!」

清々しい笑顔で言われて、こちらもつられて笑顔になる。
本当に、俺にとっても最高のクリスマスだった。

「こっちこそありがとう。いつも以上にかわいいところいっぱい見られてよかったよ」

そう答えると、どうしたことか、ポロポロと大粒の涙を流し始めてしまった。

――えっ!?待て待て待て、なんでだ、何がまずかったんだ。
どうしよう。一旦落ち着け。いや、落ち着いている場合じゃないだろ。
絶対泣かせないって決めたばかりなのに。

パニックになって声もかけられずおろおろしていると、なぜか朱里の方まで動揺し始めた。

「……あれ?なんで私……え?あれ?」

止まらない涙を拭いながら、なぜ泣いているか自分でもわからないようだった。
そんなことを考えている場合じゃないというのに、初めて見るうろたえた姿がたまらなく愛おしく思えて思わず抱きしめた。

道行く人に興味しんしん見られているのも、全く気にならない。
このまま帰してしまいたくないという気持ちと戦いながら、泣き止むまで頭をなで続けた。

 

自分の最寄り駅に着いて、家までの道をぼんやりと歩く。
なんだか、夢みたいな時間だった。
本当にこれは現実だったんだろうか。
目が覚めたら、何もかも跡形もなく消えてなくなったりしてしまわないだろうか。

そんなメルヘンチックなことを考えながら、首元のネックレスに手を伸ばす。
夜風に吹かれて少し冷たくなったリングが、たしかにこれは現実だと思わせてくれた。

そうだ。
せっかくだから、このネックレスも明日着けていこう。
ワイシャツの下なら、外から見えないし問題ないだろう。
自分がプレゼントしたネクタイの下に、実はネックレスも着けていたと知ったらどんな顔をするだろうか。

休み明けは、誰も――朱里すらも――知らないうちに、おそろいのネックレスをして仕事に励むのだ。
ああ、顔がニヤけて仕方がない。
朱里の心配をする前に、俺の仕事に支障が出ないようにしないと。

気分の高まりに合わせて、足取りも軽くなっていく。
朱里がなぜ泣いたのかは結局わからずじまいだったが、別れ際の笑顔を思えば、きっと悪い理由ではなかったのだろう。
今日は教えてもらえなかったが、またいつか、本人の気が向いたときにでも言ってもらえればいい。

不意に視界が明るくなり、思わず夜空を見上げる。
雲の切れ目から顔を出した月影に、サンタのソリが横切ったような気がした。







著者:笹川愛奈
イラスト:坂上知美
朗読:伊藤由紀
校正、校閲:種村拓己、高橋知世
タイトル、サブタイトル:高橋知世




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