長岡花火の歴史と込められた意味

長岡花火の歴史と込められた意味

「日本三大花火」のひとつであり、毎年多くの人を魅了し続けている新潟県の長岡花火。弊社は新潟に本社があるため、長岡花火は夏の一大行事として社員一同楽しみにしています。

全国的にも夏の風物詩として広く親しまれていますが、その裏には特別な思いが込められていることをご存じでしょうか。

今回は長岡花火が生まれるまでの経緯と込められた意味についてご紹介します。

長岡花火の歴史

長岡花火の歴史

長岡花火の起源は、実に1840年(天保11年)までさかのぼります。180年以上にわたって紡がれてきた長岡花火の始まりと、現在の形になるまでの経緯を見ていきましょう。

起源は「沙汰止みの合図」

1840年(天保11年)、越後長岡藩主が10代目牧野忠雅(まきのただまさ)だったときのこと。

江戸幕府は川越藩・庄内藩・長岡藩の3藩に対し「三方領地替え(さんぽうりょうちがえ)」を命じました。財政難に悩んでいた川越藩の救済に加え、新潟で行われた密貿易の件で長岡藩を罰することが目的だったようです。

しかし、藩主への信頼が厚かった庄内藩の領民たちが行った命がけの抗議運動が発端となり、翌1841年(天保12年)7月12日に命令は撤回されました。

このとき、領地替えが沙汰止み*になったことを祝い、合図として打ち上げられた花火が起源だと伝えられています。

MEMO
*沙汰止み:命令や計画が中止になること

長岡初の花火大会が現在の原形に

1879年(明治12年)には長岡初の本格的な花火大会が開催され、これが現在の長岡花火の原形となりました。

9月14日と15日の2日間、千手町八幡神社で行われたお祭りで、遊郭関係者が資金を出しあって350発の花火を打ち上げたとされています。

その後、より大きい尺玉や新しい仕掛け花火が開発され、全国的な知名度も高まっていきました。

戦争の影響で一度は途絶える

1937年(昭和12年)頃から、戦争が激化した影響で日本全体に自粛ムードが漂い始めます。翌1938年(昭和13年)には花火大会も中止に追い込まれました。

そして1945年(昭和20年)8月1日、1488名が犠牲となった長岡大空襲が起こります。焼夷弾の投下は1時間40分にも及び、市街地の8割が焼け野原と化しました。

慰霊と平和への祈りを込めた復興祭として復活

悲惨な空襲から1年後の1946年(昭和21年)8月1日に『長岡復興祭』が開催され、その翌年の復興祭で花火大会が復活しました。空襲があった8月1日は戦没者の慰霊に重点を置き、2日と3日の2日間で花火大会を行うようになったのはこのときからです。

現在に至るまで、空襲が始まった時刻 (8月1日午後10時30分)にあわせて慰霊のための花火を打ち上げる習慣は続いています。また市内寺院の協力のもと、同時刻に慰霊の鐘も鳴らされます。

空襲で亡くなられた方への慰霊と、戦後の復興に尽力した先人への感謝、そして恒久平和の願いを込めて、長岡花火は受け継がれ続けているのです。

長岡花火の特徴と見どころ

長岡花火の特徴と見どころ

長岡花火は、他の花火大会に比べて打ち上げる花火玉が大きいのが特徴です。

2.5号玉(直径約7.5cm)から5号玉(直径約15cm)程度のサイズが一般的ですが、長岡花火では10号玉(直径約30cm)が標準と言われています。その中で最も大きいのが、直径90cm、打ち上げ幅約650メートルの超大玉「正三尺玉」です。

さらに、信濃川沿いの広大な河川敷を利用することで、全国有数の敷地面積でビッグスケールな演出が楽しめます。

長岡花火に込められた意味

長岡花火といえば、冒頭に打ち上げられる『白菊』とラストを飾る『フェニックス』が特に有名ですが、それぞれに特別な意味が込められています。

白菊

長岡花火:白菊

現在の正式名称は『慰霊と平和への祈り』10号3発です。長岡空襲があった8月1日午後10時30分、そして長岡花火大会のプログラム冒頭に打ち上げられる白一色の正三尺玉を指します。

伝説の花火師と呼ばれた嘉瀬誠次(かせせいじ)氏により、シベリアで共に勾留されていた戦友たちへ捧げる追悼と鎮魂のための花火として製作されました。

現在でも慰霊と平和への願いの象徴となっており、COVID-19(新型コロナウイルス感染症)の影響で長岡花火大会が中止されていた間も『白菊』の打ち上げは行われていました。

フェニックス

長岡花火:フェニックス

正式名称は『新潟県中越大震災復興祈願花火フェニックス』といいます。

「被災した中越地方をはじめとする新潟県全体の人々を元気づけるため、一日でも早い復興を祈願し、世界に誇れるような壮大な花火を打ち上げたい」という思いから生まれました。

『フェニックス』の最大の特徴は、シンガーソングライターの平原綾香さんが歌う『Jupiter』をBGMに、メロディに合わせて打ち上げられる“ミュージック花火”であること。

「何度、被害に遭っても、不死鳥のように甦る」というメッセージが込められており、花火の中心に現れる光跡はフェニックス(不死鳥)を表現しています。

込められた意味を知って長岡花火をもっと堪能しよう

込められた意味を知って長岡花火をもっと堪能しよう

今では夏の風物詩として広く親しまれている長岡花火。その裏には、戦争で犠牲になった人々への慰霊や、平和への願いが込められています。

現地まで行く方も、テレビの中継で見る方も、今年はぜひ長岡花火の歴史や込められた意味を頭の片隅に置きながら鑑賞してみてください。もしかしたら、これまでとは違った発見があるかもしれません。